古典物理学から量子物理学へ

雑学を収集しようじゃないか雑学
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ボーアの解釈

1:加速度運動している原子内の電子は

なぜ安定しているのか?

2:水素原子のスペクトルは

なぜ整数倍となる振動数になるのか?

この二つの『?』から

ボーアさんが導き出した結論は

「原子を構成する電子の軌道は不連続である」

ってこと

ある意味 とんでもない結論なんだけど

実験観測を重んじる物理学

この結論が研究結果と

齟齬を犯さないとなると

無下にするわけにもいかないんだ

電子の軌道が不連続だってことは

電子がある一定のエネルギーを

受けるか放出しない限り

次の軌道に移ることはできない

ってことになるよね

だから 少々のエネルギー変動じゃ

軌道が変わらないってことになる

だから原子の軌道は

安定してるんだってことなんだ

スペクトルの問題も

電子が軌道を変えるときに

はじめてエネルギーを

吐き出したり

吸い込んだりすることになる

と 考えれば説明ができる

理屈としては簡単

軌道の差分が

エネルギーとして

観測されるることになるよね

ということは

軌道が変わることによって

光の振動数に違いが出る

だから 不連続に

なっちゃうってこと

原子の安定状態っていうのは

それ以上エネルギーを

吐き出すことが

できなくなった状態だって

理由付けたんだね

物を温めた(熱を加えた)時を

考えてみよう

液体やら気体だったら

原子そのものの運動が

激しくなっちゃうけど

原子が動けないほど

がっちりくっついたものは

(固体なんかだね)

原子が身動きができない代わりに

原子の中の電子が

激しく動いちゃう

ってことなんだ

だから 固体なんかでは

熱を加える(エネルギーを与える)ってことは

原子じゃなくて

電子にエネルギーを

与えるってことになるんだよ

エネルギーをもらった電子は

そのエネルギーが

軌道を変えるのに

十分なエネルギーだったら

ひとつ外側の軌道に飛び移る

熱いから逃げちゃうのか

元気になって飛び上がるのかは

知らないけど

でも 安定した軌道と

違うってことは

電子にとって居心地が

いいわけがない

だから できるだけ早く

元の軌道に

戻ろうとするってことなんだ

そして元の軌道に戻るためには

余分にあるエネルギーを

放出するってことになる

その軌道を変えるときに出る

放出エネルギーが

系列を作られた

スペクトルって

光になるってことみたいなんだ

アナログからデジタルへ

電子が飛び飛びの軌道にしか

存在できないっていう結論が

はじめからボーアさんの

頭の中にあったのかどうかは

わからないけど

そこに至った発想は見事だね

(もしくは少々ぶっ飛んでいる)

そして 物理学の特徴として

仮定を出せばその検証が行われる

ボーアさん その検証として

『量子条件』っていうのを

算出しちゃったんだ

電子の角運動量は

(質量m×速さv×回転半径r)

その軌道を一回り総合したものの

プランク定数(h)の整数倍である

数式で書けば

2πmvrnh ってことになるんだけど

まずぼくなんかには

覚える必要のない式だと思うな

(と いうより

理解できないかも)

物理学で

その仮定の証明が

数式だっていうのは

違和感を感じるのは

ぼくだけなんだろうか?

このあたりから

ぼくの中で

古典物理学との

決別感が出てくるんだよね

相対論の時に

アインシュタインさんは

幾何学的発想で

時・空間を表したんじゃないかって

書いたと思うけど

たしかに 相対論の証明にも

実験証明では出てこないものも

多かったかもしれない

ただ 幾何学発想っていうものは

どちらかといえば

アナログ発想

でも 数式で解決しようという

代数発想は

デジタル発想のような

気がするんだよな

別に アナログ発想が良くて

デジタル発想が悪いって

言っているわけじゃないんだよ

ただ そこには

明らかに考え方の違いが

あるって思うんだ

この時代

全体的に ものには最小単位があって

世の中はアナログじゃなくて

デジタルだって風潮に

傾きかけていたのは

確かだと思うんだ

だから相対論も

古典物理だって言われるのは

わかるような気がするけどね

相対論がアナログ発想だとは言え

物理学にデジタル発想を

持ち込んだのは

アインシュタインさんだったんだ

コンプトンさんの光電効果の

実験結果に 光には粒子の性質が

あるという仮定を提出したのが

アインシュタインさんだもの

そのアインシュタインさんが

けっきょくアナログ発想から

抜け出なかったって言うのは

不思議なことかもしれない

もっとも 最小単位という考え方には

捉えようによっては

多様な意味が込められているんだから

仕方が無いことかもしれないけど

ぼくも最小単位のモノを表現するときに

レゴブロックだの

粒々だのという書き方をしちゃうけど

量子論で言うところの

最小単位ってものが

ぼくの考えるような

物質の粒ってことじゃ

無いように思えるんだ

では なんだって言われると

困るんだけどね

今では 光子と呼ばれている

アインシュタインさんが

発表したときの光量子にしたって

運動量とエネルギーはあるけど

質量があるか? って言われたら

答えに困るんじゃないかな

そしてアナログへ?

1923年 日本じゃ大正12

関東大震災のあった年なんだけど

まずその当時を知っている人って

いないよね

(もちろんぼくも知らない)

この年にひょっとすると

量子論の前期と後期の

境目なのかもしれない

研究が発表されているんだ

一つ目は『コンプトン効果』

光電効果には続いての拡張実験が

おこなわれていたんだ

ある振動数以上の光を金属面に当てると

電子が飛び出してくるっていうのが

実験結果だったんだけど

コンプトンさん

もっと振動数を上げた光を当てると

どうなるかってことを

調べていたんだね

結果 光電効果で出てくるのは

電子だけじゃなくて

光も出てくることが分かった

その光を調べてみると

当てた光と同じものだけじゃなくて

エネルギーを失って

振動数の小さくなった光が

出てくることも分かっちゃった

これって 光が単純に

エネルギーの塊じゃなくて

粒子(物ってことかな)としての

実体を持っている

ってことになる

(『らしい』んだ)

光の粒子が電子とぶつかって

そのエネルギーの一部を

電子にとられちゃう

だから 振動数が小さくなっちゃう

ってことだそうだ

(これも 『らしい』だけど)

この光が対象とエネルギーのやりとりをして

散乱を起こす現象を

『コンプトン効果』と呼んで

いよいよ光は粒子性を持っている

ってことを

裏付けた研究結果になったんだね

(しつこいけど 『らしい』だよ)

もう一つは『ド・ブロイ波』

波だと思われていた光には

波と粒子の両方の性質があるという

発想の転換がおこなわれた

だとすれば 

もう一つ発想を転換すれば

粒子だと思われているものにも

波の性質があっても

おかしくは無いんじゃないか? 

っていうのが

ド・ブロイさんの『物質波』

けっして物体が波の性質を持つ

ということを主張したわけじゃないよ

(実際 物質が波の性質を持っているのかもしれないけど)

ボーアさんが疑問に思った

1:加速度運動している原子内の電子は

なぜ安定しているのか?

2:水素原子のスペクトルは

なぜ整数倍となる振動数になるのか?

という問題を考えていたのは

ボーアさんだけじゃなかったんだ

結果として ボーアさんは

電子の軌道が

飛び飛びの軌道しかとることが

できないからという

結論を出すんだけど

同じ結論を違う角度から

出してきた人が

ド・ブロイさん

ボーアさんは二つの疑問を

解決するために量子条件ってもの

原子の中の電子は

半径(直径でも円周でもいいけど)が

整数に依存しちゃう

一定の飛び飛びの値になるってことを

発表しちゃったよね

実験結果を合理的に説明しようとすると

そうなっちゃうってこと

そこに ド・ブローイさんが

電子にも波の性質があるって考えたら

もっとわかりやすいんじゃない? って

言い出したわけだ

波が円周上で衰退せずに

続いていくためには

(続いていく波は

『定常波』って呼ばれるけど)

波が始まって一周回って

元の位置に戻ってくるときに

始まりと終わりが

一致しないと定常波になれない

(安定して続いていけないってことだね)

だから 電子の軌道は

整数倍の飛び飛びの軌道になるんだって

考えたんだね

聖地コペンハーゲン

ボーアさんは 電子は粒子だから

エネルギーが不連続になる

だから 電子の軌道は飛び飛びになるんだ

って結論を出しちゃった

ド・ブロイさんは 電子は波だから

電子の軌道は飛び飛びになる

って結論を出したんだね

これって電子の軌道が

飛び飛びだってところでは

おなじ結論になっているんだ

でも 片方は粒子だから

もう片方は波だからっていう

矛盾しているような

前提からはじまっているんだよね

量子論の最大の欠点は

物理学得意の実験が

通用しないところにある

なんといっても相手が

小さすぎるんだから

現代でも 確かに実験技術・装置は

発展を続けているけど

まだまだ追いついていないんじゃないかな

だから どうしても多用されるのは

『思考実験』になるのは仕方がないんだ

『思考実験』っていうものは

これまでにも数多く使われていた

手法だけど

あくまでもぼくの頭の中じゃ 

『哲学』に分類されちゃうんだよね

もしくは論理の積み重ねっていうところから見ると

『数学』かもしれない

いつも言っているように

『数学』は言語だと

ぼくは思っているんだ

そして『哲学』も

ある意味言語なのかもしれない

言葉を紡いで出してきた結論は

どれほど緻密に

組み立てられていたとしても

あくまでも『真実』であって

物理学が目指している

『事実』じゃないような気も

するんだけどね

ぼくの不満は横にのけて

言語を紡ぐ理論体系には

独りの頭脳じゃ発展が無い

それじゃただの小説と

変わらないんだから

一人の天才がどうこうできる

ものじゃないってことなんだ

ボーアさんはその辺りが

よくわかっていたんだね

量子論の研究には

潤沢な資金による研究所よりも

優秀な人材の頭脳だってことで

世界中から若い研究者を

デンマークのコペンハーゲンにつくった

研究所に集めたんだ

トムソンさん ラザフォードさん

モーズリーさんなんかが

コペンハーゲン研究所に

集まっていたし

パウリさん ディラックさん

日本からだと仁科芳雄さんも

いたそうだよ

この そうそうたるメンバーのなかに

ハイゼンベルグさんもいたんだね

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