本当に一区切りつけよう

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一般相対性理論のまとめ

測地線の方程式や

アインシュタイン方程式(重力場の方程式)を

記述するだけの能力は

ぼくには無さそう っていうのは

分かってきた

(あまり胸を張っていうことじゃないけど)

そしてその数学的推論から出てくる

特殊解についても

興味深いものだとは思うけど

今のぼくの思考の散歩には

あまり関係がなさそうだとは思うんだ

(あきらかに負け惜しみの要素が強いな)

だけどひとつの結論として導き出せそうなものが

宇宙は『なにか』で満ちている ってこと

そう書いてみたけどどうもしっくりこないね

『なにか』でも『場』でもいいけど

宇宙がなにかで満たされているというのは

少し違うのかも

満たしている『なにか』が宇宙だ っていうのが

正解かもしれない

『なにか』と書くとなんとも間が抜けているから

『場』としたほうが学問的には感じるから

極論で書くと『場』が宇宙だ ってことになるのかも

ひとまず一般相対性理論を

ぼくなりの解釈の中でまとめ上げるとすれば

「宇宙は場だ」 ってことになるんだろうね

では 『場』というのは何物なんだ?

場とは

物理量を持つものの存在が

その近傍・周囲に連続的に影響を与えること

あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと

って なんのことだ?

困った時のウキペディアを見てみたんだけど

分かったような分からないような

物理学における『場』は

空間や時空全体に広がる物理量であり

それ自体が実体を持つことが特徴である

う~ん ぼくのレベルに合わしてくれる

AIさんも もうひとつ分かりにくいな

どうやら場っていうのは

物理量だという定義になっているらしいけど

どうもいろいろ読んでみると

少しずつ違った捉え方がされている

そんな風に見えちゃうのはぼくの知識不足?

宇宙がなにかで満たされているという発想は

それこそぼくの一押し エーテルで

既に考えられていたよね

デカルトさんの渦動説 

そこから派生する光の媒質としての

フックさんのエーテル

だけどデカルトさんやフックさんの提唱したエーテルは

いくらでも細かくすることの出来る微細物質という捉え方

その考え方は光の速度の研究

というよりエーテルの検出を目的とした実験によって 

かえって否定されちゃった

(エーテルの風の実験だね)

この時点でほぼ物質としてのエーテル論は

否定されたとみていいんじゃないかな

アインシュタインさんがエーテルの存在を否定した

なんて書かれているものが多いけど

実際のところエーテルってものを考慮に入れなくても

相対論は成り立つ ってことみたい

 

相対論の中でエーテルというものは

無視されているみたいだけど

アインシュタインさんが否定したのは

物質としてのエーテルであって

物理的な空間としてのエーテルは

否定はしなかったんじゃないかな

エーテルという言葉の代わりに

場という言葉を使うようになっただけで

では『場』の定義

空間や時空全体に広がる物理量であり

それ自体が実体を持つことが特徴である っていう

『実体』ていうのはどういうことだろう?

言語って難しい

言葉の使い方問題がここでも出て来たね

『物理量』や『実体』ってものは

軽く聞き流せばわかったような気になるけど

細かく考えてみると頭の中が『?』で埋まっちゃう

物質としてのエーテルは否定された

一応そういうことにしておこうよ

そこでアインシュタインさんは

物質としてのエーテルではなくて

物理的なエーテルとして場という言葉を

使った と言われているんだ

ということは場は物理的な存在ということになる

その前に確認しておこう

物質とはなんだろう?

凄くアバウトな解説によると

物体を形づくり 

任意に変化させることのできない性質をもつ存在

空間の一部を占め 有限の質量をもつもの

なんて書いてある

単純にぼくたちが『物』と呼ぶ

形のあるもののことだろうね

それこそ分子や原子 

それより小さい原子核・電子・素粒子なんてものも

形があれば物体ってことで良いんじゃないかな

ここで問題なのが小さすぎて目に見えない

目だけじゃなくて超優秀な観測器でも捉えられないものでも

形の在るものは物体ってことなんだと思うんだ

ところが科学者たちは観測できないものにまで

手を伸ばし過ぎた

そして観測された結果からその原因を探るという

果から因を導くというスタイルを

因から果を導く 推論から推論へと導いていく

そんなスタイルが主流になっちゃったんじゃないかな

現代の理論物理学が

数学を主流とした学問になっちゃった時点で

仕方が無いことかもしれないけど

数学は言語

たしかに現在ぼくたちの持っている言語の中では

コミュニケーションとして

一番正確に伝わる言語ではあるけど

それでも曖昧さは避けられないんだよ

ましてや その数学で伝えられた情報を

自然言語で翻訳するとなると

その捉えられ方に種々の解釈が出てくるのは

仕方ないかもしれない

とにかく ひとまず一般相対性理論の振り返りは

ここまでにしておくね

本来なら続いて量子力学の

後半のところの振り返りに戻る予定なんだけど

軽~く 場の部分にも

触っておきたいような気もするし

どこへ向かうのかは

分からなくなっちゃった

まあ どうせ思考の散歩

道草は当然かもしれないってことで

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