ESS理論

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血縁淘汰説

生物としての個体は

利己的でないと生き延びられない

これは当然だよね

個体が

利他的行動を中心とする生態だとすると

あっという間にその種は滅びちゃう

というのは自明の理だと思うんだ

でも 実際に

数多くの生物の中に

利他的行動をするものが

見受けられるのも事実

そして 生物の行動っていうのは

その形質が次世代に引き継がれなければ

種としての特徴として

現在に残っているわけがないはずなんだ

個体は利己的でないと

生き延びられない

個体の中には

利他的行動をするものがいる

この矛盾する問題に答えを出すために

ハミルトンさんが

利己的なのは個体じゃなくて

遺伝子だという血縁淘汰説を唱えたわけだ

利己的行動だけをする個体が増えすぎても

種が長年にわたって存続するのには

必ずしも有利じゃないってことだね

もちろん

利他的行動を選択する個体が増えすぎても

種の存続にとっては有利とはいえない

だから そのバランスが

大事ってことになるんだ

そのバランスを

いちいち個体それぞれが

考えているわけじゃないんだろうけど

現在まで生き延びている生物たちは

利己的行動と利他的行動の最適バランスを

溜まっているってことだね

ESS理論

ESS理論は

『Evolutionarily Stable Strategy』

日本語だと

『進化的安定戦略』って

言われている

前に書いたけど

遺伝子が利己的だとすると

生物(遺伝子だね)の目的は

己の遺伝子をどうすれば生き延びさせる

(将来に伝えていく)

かってことになると思うんだ

遺伝子を生き延びさせるためには

直接的に自分が子孫を増やしていく

ってことだけじゃなくても

遺伝的に近縁な

他の個体が繁殖してくれても

良いってことだね

だから 血縁淘汰のために

利他的行動って言うのが

出てくるわけだ

遺伝子としては

自身の繁殖成功度と

近縁者の繁殖成功度を

計算しながら

最適解を導き出せばいいってこと

直接の自分の子供なら

50

親兄弟ならこれも

50

兄弟の子なら

25

もっと血縁が薄くなれば

それなりにパーセンテージは

少なくなっていくだろうけど

その血縁の度合いの重みづけと数とを

加え合わせた量が

(包括適応度だね)

最大の大きさになるような行動が

進化戦略としては最適になるってこと

もちろん 個体の選択は

社会行動の中での適応度ってことだから

個体の属している集団の

他の個体の行動に依存しちゃう

集団全体の行動が

お互いに依存しあうという状況では

個体の集団への適応度が

種の進化を導くということになるから

それと異なる行動をとろうとする

少数派の集団があったとしても

その形質は広がりえない

ってことになっちゃうんだよね

だから進化的に安定な戦略

ということで

ESS』が成立する

ってことになっちゃうんだ

ゲームの理論と経済学

ゲームの理論は

もともと経済学の分野で

開発されたもの

だから どうしても

人間社会での『概念』ってものが

導入されちゃうんだ

初期のころは

単純に利得の大小で

研究は進んでいたんだけど

それこそ

お金を儲けることだけが

勝利とみなせるのか? 

なんて わけのわからない

『効用』を導入しなくちゃ

ならなくなったり

人間というものは

『合理的』判断によって行動するなんて言う

『仮定』を基礎に置く必要が

出て来ちゃったんだよ

基本ゲームっていうのは

『協力ゲーム』と

『非協力ゲーム』に

分けられることになっている

これなんかも

人間社会をむりやり視野に入れた

考え方だよね

プレーヤー同士が

拘束力のある合意を形成できれば

それは協力ゲーム

だってことになるんだけど

実際のところ

本来の意味での協力ゲームなんて

存在しないと思うんだ

複雑に絡み合った

人間社会を分析するのに

個々のプレーヤーごとに分析するより

複数のプレーヤーをひとまとめで

分析するほうが楽だってことだろうと思うよ

だから ゲームを

非協力ゲームとみなして

協力ゲームをその特殊解の一つ

として考えたほうが

わかりやすいとおもうんだ

経済学で扱われる

非協力ゲームは

事前に利得関数が

(どれだけ儲かるかだね)

わかったうえで

個々のプレーヤーが

最適解という合理的な判断の基に動く

という前提の基で組み立てられていく

経済学におけるゲームの理論では

結果として得られる様々な価値を

ひとつの利得関数として

設定しなけりゃならなくなる

経済的報酬 

生命に対する付加価値 

精神(良心?)に対する付加価値etc

なんてものを

ひとつの数字にしなけりゃ

ならなくなっちゃうわけだ

もうひとつは

何度も書いてきたけど人間の合理性(理性性)を

絶対条件にしちゃうってこと

じつはこれって

難しいことなんだよ

ゲームの理論っていうのは

戦略や全体の流れの分析には

もってこいの学問なんだけど

そこに『人間』という

ファクターを入れると

とんでもなく複雑な学問に

なっちゃうんだよね

ゲームの理論と生物学

科学に

人間というファクターが

いるのか? 

これは

むずかしい問題だよね

自然科学の最右翼

だと思える物理学でさえ

「物理学とは人間が認識し得る……」

ってことになっているんだもの

ただ 人間が自分を

特別な存在だと思っている一つの要素に

『合理性』ってのがあるんだけど

この『合理性』と『人間性』っていうのが

相容れるのかどうかも

問題なんだ

人間の経済というものを

分析しようとしていたゲームの理論が

じつは人間性を排除した生物学の方に

よりうまく応用できる

ってことに気が付いたのが

メイナード=スミスさんってこと

ゲームの理論は

最適戦略を導き出すことに

特化している

最適戦略ってなんだ? 

ってことになると

最大の利得ってことになるよね

ということは

『利得』ってなんだ?

ってことになっちゃう

結果の価値の一元化だね

そこのところでは

生物学が圧倒的な強みを

持っているんだ

生物学では

ダーウィンさんの適応度が自然界で

正真正銘の一元的な

尺度となっているんだから

もうひとつ

経済学で基礎と仮定されていた

人間の『合理性』って概念が

そんなあやふやなものじゃなくて

進化的安定性という

確固たる概念で

説明できちゃうってことだね

極端に言えば

個体の快・不快や

行動制約なんかに関係なく

いかに自分の持つ遺伝子が

生き延びる確率が高いかだけが

『進化ゲーム』の解

ってことになるってことなんだ

生物学にゲームの理論をあてはめるってことは

ゲームの理論から『合理性』を除外すること と

『利得』の価値の一元化をすること

そして 繰り返されるゲームの中で

ゲームの結果である利得に基づいて

事後的に戦略を変更していく

プレーヤー(生物)の集団を想定する

その上で 彼らが選択していく戦略を

力学系(動学モデルかな)として

分析できちゃう という

シンプルな構造を持つことができたんだ

ここへ来て はじめてゲームの理論は

その真価が発揮できたんじゃないかな

人間性や合理性なんてものから切り離して

純粋に数字でゲームを表す

やっと科学らしい学問に

なれたってことかもしれないね

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