エソロジーの行動遺伝学への影響

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アメリカの心理学と行動遺伝学

ここからはぼくのイメージ

(偏見に満ちたバイアス)

だって断っておくね

もともと思い込みと

偏見に満ちている

ってことは自覚しているけど

(って 恥ずかしいけど)

心理学は人間の心理を扱う学問

って書いたよね

人間とは っていうのは

ぼくたちの一番の

関心ごとだから当然

当時 心理学の分野で主導権を握っていたのは

アメリカだったみたい

アメリカ発の学問イメージは

合理的って感じがしない?

合理的というより

還元主義って言い換えても

いいかもしれないけど

還元主義っていうのは

前にも少し触れたけど

複雑なものごとでも

それを構成する要素に分解していって

それらの個別な要素一つ一つを

理解できれば

全体を理解できる

って考えかただね

因果関係を中心に据える

自然科学の研究の基本ってところかな

この考え方は

ぼくたちの論理を構築するためには

需要なものなんだ

だけど 要素に分解する

っていうのが

意外と難しいんだよね

研究対象の中の階層構造を

(高次の階層は 低次の階層が備える性質を

すべて持っているってやつだね)

正しく理解できるかどうかに

かかっているんだから

当時の心理学は

アメリカが主導していた

って言ったよね

そしてアメリカが心理学を主導して

『科学』と名乗ってしまった時に

この還元論に

陥っちゃったんじゃないだろうか

精神を物質と同じように

還元できるものとしてしまった

ってことなんだ

精神も物質と同じように

還元できるのかもしれないけれど

現在の実験・観測技術で

それが実現できるとは

思いにくいんだけど

その還元論が 心理学が主導の行動遺伝学も

行動を遺伝子に そして 核酸レベルへと

還元しようとしていった

そんな気がするんだよね

ヨーロッパの動物行動学

一方 ヨーロッパでは

遺伝というのか生物の生態を

自然の動物の行動を観察して据えるという

研究姿勢が主流だったみたい

このフィールドワークを出発点として

動物の行動を研究する学問を

『エソロジー』

って言うみたいなんだ

日本語では『動物行動学』

なんて呼ばれているけど

本来は

「生物の行動を研究する生物学の一分野」

ってことらしいから

けっこう広範囲な研究分野らしい

ぼくにはあまり聞き馴染みのない単語だったけど

『ファーブル昆虫記』のファーブルさんも

エソロジーの分野の人だって言われて

なんとなく

納得できたような気がするんだ

4領域の提唱者のティンバーゲンさんも

エソロジーの人なんだそうだ

エソロジーは

ダーウィンさんの

―行動とはそれぞれの種に特有の

遺伝によって規定されたものであり

それゆえに

長い自然選択の歴史の結果として

高い適応価を有しているものである―

っていう

進化論的世界観の認識が

ベースに置かれて

出来上がっているらしい

どんな科学研究もそうだけど

発足当時のコンセプトが

現代でも継続しているかどうかは

疑問だけど

ダーウィンさんの

自然選択説が

すべてなのかどうかは

未だ結論が出ているわけじゃないけど

生物の行動と遺伝という考え方は

一理あるとは思えるね

そう 少なくとも遺伝を扱う限り

生物の進化ってものを

考えないといけないという姿勢は

続いているんじゃないかな

心理学を中心に

発達してきた行動遺伝学は

遺伝を扱いながら

種内の個体差と

それをもたらす遺伝子の方に

力を注いでいたんだよね

科学の研究としては

当然のことかもしれないけど

心理学も遣伝学も

生命あるものを扱う科学であって

生命のない物質を

扱っているのではないってことが

忘れられていたのかも

しれないんだよ

でも 命ってなんだろう?

遺伝と行動と命 Ⅰ

『命』 って定義するのは

難しそうだね

肉体が存続していることが

『命』がある

ってことかもしれないし

『命』=『魂』なんて

考え方もある

生物全般で考えないで人間だけで考えても

「なぜ生きるのか?」

なんて命題は太古の昔からあるし

それに対する解答も

千差万別ではあるけど

太古から出ているよね

答えはあるけど

正解はだれも知らないって

よくある命題の一つってことかな

ぼくがいま調べているのは

「ぼくって何?」

ってことなんだから

ひとまず『命』=『魂』ってことで

話を進めていこう

では 『魂』ってなんだろう? 

同義語として出てくるのは

霊魂・エスプリ・神

精神・マインドなんて

山ほどあるけど

ぼくのイメージでは

精神とか考える自分とかが

一番に出てくるんだ

だから便宜上

考えている自分ってことにしておこう

(われ思うゆえにわれあり だね)

生物がなにを考えているのか 

同種の人間の間でも

他者の考えなんて

わからないんだから

理解できなくって当たり前

ただ その考えは『行動』に現れる

(と 思われている)

ってことになっている

量子力学や相対論で

直接観測できない対象を

その周りの変化を観測することで

見つけ出そう

としているのと同じだね

その行動は

なぜ起こされるのか? 

とうぜん個体の考え(思考)が

引き起こしているはずなんだけど 

すべての行動が いちいち思考を基にして

現れているんだろうか?

遺伝と行動と命 Ⅱ

遺伝へと寄り道する前に

書いていたことを

覚えているだろうか

人間という入れ物は

(自動車でもロケットでも潜水艦でもいいけど)

外部観測器官を使って情報を入力して

その情報を基に判断して操縦されている って

書いてたと思うんだ

ただし 

いちいちすべての情報に対して

判断しているわけじゃなくて

ほとんどの情報は

自動処理装置によって

処理されちゃう

って考えかただよね

自分という本質を知りたければ

自動処理装置の判断を除いた部分を

見つければいいんじゃないか

なんて 単純な発想で

踏み込んじゃった

遺伝なんだ

本能を

(今じゃ使わない概念らしいけど)

除いた部分が

他者と本人を区別できるってこと

極端な言い方をすれば

行動に出てくる部分は

遺伝と学習によって

形作られている

ってことになるのかもしれない

では 本能を除いた部分は? 

どうすれば観測できるんだろう

 

行動生態学

遺伝と行動と命という命題は

まだまだこれからの発展を待たなきゃ

仕方が無そうなんだ

なんといっても

『命』ってものがどんなものなのか

ってことさえ

定義されていないんだからね

物理学得意の思考実験も

数学による帰納・演繹も

なんらかの基礎が無いことには

手も足も出ないんだから

困ったもんだ

だから いったん

この迷路からは

退散することにしよう

ただ せっかくのぞき込んだ世界

もう少しだけ寄り道をしてから

戻ってみようかな

エソロジーは

ダーウィンさんの進化論を

(自然選択説)

ベースに

生物ってものを考えようという学問

行動遺伝学は

心理学と遺伝学を

組み合わせようとする学問

それ以外にも

生命(もしくは人間)の研究は 

多岐にわたって挑戦されているんだ

その中の一つに

『行動生態学(社会生物学)』

なんてジャンルがある

これがけっこうおもしろそうなんだ

だから もう少しだけ

この分野を覗いてみるね

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