ダーウィン

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   生物の進化と人間

なんでこんなところに

ダーウィンさんが出てくるんだ?

って、不思議に思うよね。

どうかんがえても哲学者じゃなさそうだもの。

じっさい生物学者もしくは

地質学者で名前が通っている人。

どこをみても『哲学者』って項目はないひとなんだ。

でも、考えてみてよ。

ここまでに語られていた哲学では

宇宙・世界・神

そう、身体の外の本当の世界とはなんだろう?

っていうテーマが主だったと思うよね。

その『身体』ってのは『人間』のという大前提がついている

そう思わない?

『人間』の身体の外の世界はどうなっているんだろう? 

という問いに

『人間』の理性にはわかりえない、とか

『人間』は感性・悟性でしか外の世界とつながれない、とか

世界は『人間』が認識してはじめて存在する、とか・・・

はっきり理性を持つものは人間だけ

って言い切る人もいたよね。

動物には感性・悟性はあるけれど

理性は人間の持つ特殊能力だってことで

議論は進んでいるようにおもえるんだ。

そこで問題が一つ出てくる

その『人間』ってのはなに? ってことがね。

そうなるとやはり生物学

とくに進化の過程ってのは

おさえておかなくっちゃいけないんじゃないかな。

地球生誕46億年の中での生物の誕生そして進化。

35億年ほど前のシアノバクテリアからはじまったのか

10億年ほど前の多細胞生物からはじまったのかは無視しても

そこから高等生物に、そして最終形(いまのところはだけど)としての

人間にどうして行き着いたのか。

そして、どうして人間だけが理性ってものを持つのか。

ねっ、これってやっぱり

哲学でしょ。

このあたりの地質学上のこと

とくに生物の進化についてはぜひ書いてみたいね。

生物進化の末に最終形(しつこいけど今のところは)としての人間

そしてその人間の中での最終形(勝手に思っているだけどね)のぼく。

そこにはやはりダーウィンさんの自然選択説そして性選択説ってのは

避けて通れないような気がするんだよね。

   自然選択説と性選択説

ダーウィンさん自身は

けっして『人間』って特別なものだとはしなかったみたい。

だからキリスト教会からはきらわれていたみたいだね。

ダーウィンさん本人はもともとはちゃんとした

キリスト教徒。

紆余曲折はあったみたいだけど

けっして『神』(キリスト教的な)の否定は

しなかったようだよ。

旧約聖書に対しては首をかしげていたみたいだけど

『神』に対しては不可知論的な捉え方だったんだろうね。

ひとは動物の発展形であって

突然出てきたものじゃない。

これがダーウィンさんの骨子。

人間と動物の精神的、肉体的連続性を示して

『人間』ってのは動物だよって言っている。

じゃあ、どうやって単細胞だった

生命が生物にそして動物に人間になっていったのか。

そりゃ進化したからじゃない、ってことだよね。

すこしはなしはずれるけど

この『進化』ってことば

生物学の上ではこれまた使い方で

哲学と同じようにわかりにくくなっているみたい。

たとえば速く走るために指先が蹄に変わる。

これは進化なのか退化なのか?

一部の間では『特殊化』っていうらしいけど

その形態を得ることで次へのステップを

失ってしまうような進化を

特殊化として進化の袋小路とみなしているみたいだね。

では『人間』ってのはどうだろう?

肉体能力を減少させることで頭脳に特化した存在。

やっぱりこの先の未来のない

特殊化かもしれないな。

それはそうとして

進化ってどうして起こるんだろうって疑問に

ダーウィンさんは

『自然選択説』と『性選択説』で答えた。

もう一つ『パンゲン説』ってのもあるけど

これは種がおなじような形態を続けていくのは

どうしてなんだろうという

遺伝にかんすることだからここではパス。

自然選択説はけっこう知られているように適者生存

生き延びていくのに有利なように進化するんだよってはなし。

キリンの首や象の鼻、馬の蹄なんかが

よくたとえで出てくるね。

(馬の蹄は前述のように(?)が付くけど)

性選択説は胎生生物が台頭してきたあたりからの

同種間の個体(特に雄の)の生存競争。

多くの生物で、雌がパートナー選びの

主導権をもっているんだって

だから、雄が雌の審美眼にかなうように進化するってやつ。

一見生存の役に立ちそうもない性質が

むだに発達しちゃうってのは

ただ雌にもてたいからだけなんだってさ。

どちらにしても自然科学の分野では

『人間』の特殊性は

認められてないみたいだね。

   進化論と哲学

『種の起源』。

これが進化論について書かれた書物なんだけど

これが与えた影響はそこそこすごいものがあったみたい。

自然選択ってものによって

生物は常に環境に適応するように変化。

同じ種からはじまるにしても生き残れる種をつくるために

多様な種が生まれてくるって主張した。

この過程が有名な『生存競争』『適者生存』。

もうひとつ性選択説でも

雌の好みによって雄の進化もおこるけど

雌の好みが必ずしも一定とは限らないから

ここでも多様な種が生まれる。

ようするに

個体が生き延びるためと子孫を残すために

進化ってのはおこるんだよ

というすごくシンプルな説で

生き物をまとめてしまったんだよね。

そしてその延長線上に人間を置いてしまった。

もうひとつ

「進化と進歩は違う」とも言っちゃった。

進化して生物は変化していくけど

かならずしもそれは進歩したってことじゃないんだよ

ただ生き延びるのに都合がよかっただけなんだって。

さて困ったのは教会や人間至上主義の思想家。

「人間ってのは特別な存在だ」ってところを土台とした

理論構成をしているんだから。

哲学者たちだってけっこう

人間と生物を分けて考える理論が多かったんだから

たいへんだったんじゃないかな。

ダーウィンさんの理論建ては

緻密な研究とわかりやすさで

あっという間に広がっていってしまったんだ。

それを覆すだけの科学的根拠も無い。

だから哲学者たちは基礎の土台を

再構築するところから次のステップを模索していくことになる。

現代の哲学への大転換をさせたのは

もしかするとダーウィンさんなのかもしれないね。

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