雑学

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コペンハーゲン解釈だけがすべてか? Ⅱ

物理学は自然現象(観測されたもの)がなぜそうなるのかの説明をすること。量子力学でわかっていることは観測すれば量子は粒子として観測され それ以前にはその位置・運動量は確率でしか表せないってことだね。これってモノを細分化していった先にあるものがやはりモノなのかぼくたちの知らないモノ以外なのかって議論じゃないかな。
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コペンハーゲン解釈だけがすべてか? Ⅰ

量子力学で言われる解釈というのは『波動関数』の表すモノってどういうことだ? ってことなんだ。『波動関数』自体は量子の実体を表していることは『是』とされているけど それがなにを表しているのかがいまだに議論される問題なんだ。その解釈の雄がコペンハーゲン解釈だけど それ以外にも解釈の仕方はいくつか出てきているんだよね。
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ウィグナーの友人

『猫』の実験の追加問題提起として出されたのが『ウィグナーの友人』という思考実験。もっともシュレティンガーさんは確率解釈に疑問を提示してウィグナーさんは賛同者という立場の違いはあったけど。そしてウィグナーさんの問題提示はもう一つ。観測者によって一つの事象が確定するとして複数の観測者の確定事象が同一なのかどうかってね。
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シュレティンガーの猫 Ⅱ

量子力学の観測されるまではすべては状態の重ね合わせ 観測されてはじめて確定するという理論は実験・観測で得られたデータをなんとか解釈しようとする結論だね。ただその結論はそれまでの物理学(自然科学全体かも)の柱としていた因果関係を崩す可能性が出てくるんだよね。そこで出題された『猫箱』。だけど結論の出しようが無いんだよ。
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シュレティンガーの猫 Ⅰ

しつこいかもしれないけど量子力学のコペンハーゲン解釈には批判的な意見が多かったんだ。実験・観測の結果合理的な解釈として出された『仮定』だけど『因果関係』の否定意を内包しちゃったからね。アインシュタインさんなんかも異議を唱えていたし。そんな中でシュレティンガーさんが思考実験として提唱したのが有名な『猫箱』のはなしなんだ。
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誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる

アインシュタインさんが言ったとされる「私が見ていなくても 月はそこにあるはずだ」って言葉があるんだけど量子力学(確率解釈)の観測するまで量子は状態の重ね併せでしかないという考え方に異議を唱えた言葉だね。この観測という問題 哲学の世界でははるか昔から議論されている問題なんだ。知覚されていない観念は存在するのか? ってね。
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観測

量子力学では量子の位置・運動量は確率でしか表せないってことになっているらしいんだ。ところが量子は観測された瞬間に粒子としてその位置・運動量が決まっちゃう。この矛盾をなんとかするために波束の収縮や射影仮説なんて『仮説』が立てられたわけなんだけど、根本的なところの疑問が解決しないんだよね。『観測』とはなにかという。
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量子って何だろう?

物理学が『哲学』寄りになってしまったかも。もともとの哲学って言う意味じゃないよ。言葉を紡いで真理に近づこうとする方法論という感じ。量子力学や近年の物理学は自然言語に変わって『数学』という新しい言語で構成されているんだね。数学は完成形に近い言語だけどあくまでも『言語』。物理学の世界を言葉で語っていいものなのかな?
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確率解釈(コペンハーゲン解釈)

量子力学を学ぼうとしている人たちにとっては確率解釈が量子力学の基礎として出てくるみたいなんだ。でも この確率解釈っていうのはどこまで正しいんだろう? これまでの古典物理や相対論にしても基礎となる『前提』(あくまでもその時点で正しいとされる仮説)があったじゃない。でも 確率解釈に前提となる仮説があるんだろうか?
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量子論

量子の粒子性と波動性の併せ持ちという考えは古典物理学とは相性が悪いんだよね。だけどそう考えないとつじつまが合わなくなる実験・観測結果が出て来たんだ。もともと物理学は仮定の学問 本来なら元の古典力学を修正するのが正道なんだけどあまりに古典物理学が完成し過ぎていたんだよね。だから『量子』なんて苦肉の策が出たんじゃないかな。
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