雑学

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手掛かりを求めて

生物学 特に思考を考察するのに外部に現れている『行動』から類推するっていうのは学問としては正しいけどどうしても冗長になっちゃうよね。即席のサンプルは数多く集められるだろうけど中心の理論建てがあやふやなものだからどうしても核心に触れにくい。だからある意味細かい情報が多くあるんだけど核子の部分には決定論が無いんだよな。
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理性の分類

ぼくの本来得意とする分野は漠然とした『哲学もどき』を駆使していい加減な結論を出すといういい加減なものなんだけどな。なぜか物理学に迷い込んで、なんとか舞い戻って来たと思ったら今度は生物学の沼に落ち込みそうなんだ。もっとも哲学の一つの命題である『理性』を科学的に考察しようとするとやはり生物学は必須かもしれないけど。
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理性と行動

なんとなく人類っていうのは生物界の中で特別な存在だなんてぼくたちは思いたがっているけど ではどこが特別なのかって答えに窮しないかな。だから本能とか思考なんてものを考えようとして見たけどもともとそのもの自体を観測することはできないんだ(今のところ)。となると 思考・本能が導き出す行動ってものを考えないといけないよね。
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習得的行動

生得的行動はもともと生物(生物全般か大脳を持つ生物かそれぞれの種かは別にして)が持っている行動様式ってこと。それに対して習得的行動は個々の生物が誕生してから手に入れる行動様式って感じじゃないかな。ある種の学習ってことになるのかもしれない。学習で手に入れる行動ってことはなんとなく人間の特殊性に迫れるような気がしないかな。
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生得的行動

生得的行動について少しだけ触れてみようか。生得的行動っていうのはその生物が生来持っているいわばぼくの考えている本能に近い行動のことかもしれないね。将来持っている行動ではあるけどその出方には違いがあるみたいなんだ。だから走性・反射・本能という具合に分類分けされているんだそうだ。
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多世界解釈 Ⅱ

『人間』は波動関数で表せられる世界の中にいるのか外から俯瞰しているのか。そのあたりが『コペンハーゲン解釈』と『多世界解釈』の最大の論点じゃないかな。人間は波動関数の中にいるけど物理学って学問はどうなんだ? ってところが問題。だからこの論争、人間がじゃなくて物理学が波動関数の影響を受けるのかって問題なんだろうね。
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多世界解釈 Ⅰ

『観測』。この言葉が物事をややこしくしている元凶なんだよね。観測ってすごく客観的なデータのような気がするけどあくまで『人間が』って言葉が付いちゃうんだ。では人間は波動関数から逃れるのか? って問題だよね。もし人間が波動関数から逃れられているとしたら解釈の難問が突き付けられる。もし人間も波動関数の中にいるとしたら……
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多世界解釈へ足を踏み入れる前に

観測。そのことばには『人間』が観測するって意味が前提として置かれているよね。物理学ってそういう学問なんだから。だけど相対論もそうだったけど特に量子論ではこの『人間』っていうものが問題になってきちゃうんだね。モノは波動関数で表せられる。人間はモノの一つである。では人間は波動関数でしか語れないのか? という。
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波動関数の収縮

科学 特に物理学というのは理論構成が完璧でないと正しい仮説とは認められないところが辛そうだね。『波動関数が量子の状態を表す』っていうところまでは仮説として認められているんだ。ただ 観測すれば量子が粒子として見つかっちゃうのはなぜか? ってところでみんな苦労しているんだね。そこで出てくるのが『射影仮説』なんだけど……
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コペンハーゲン解釈だけがすべてか? Ⅲ

コペンハーゲン解釈に対する多くの反論が『因果関係』が崩れるってこと。だけどじつは波動関数自体は因果関係を満たしているんだね。『観測』すると一点に観測されるという事実を導入すると因果関係が崩れちゃうんだ。そこで出てくるのが『多世界解釈』。もしかするとコペンハーゲン解釈の対抗馬になるかもしれない可能性を秘めているんだね。
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