雑学

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原子

『原子』って考えかたは取り立てて最近のはなしじゃない。古代ギリシャ時代から物質ってものは粒々が集合して出来上がっているんだよって考えかたはあったんだからね。それでもその考え方の裏付けができるようになるまでには相当時間がかかっている。現在じゃ(もっとも今のところではだけど)『原子』ってものが通説になっているんだけどね。
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古典物理学と現代物理学

ぼくたちのまわりの世界。見たり聞いたり感じたりしている世界にもまだまだわからないことが山ほどあるけど、科学者たちはすごいよ。目に写らない微小な世界やぼくたちが感じられない世界にまでその探究の触手を伸ばしていくんだから。今ある物を細かく細かく砕いていってもうこれ以上小さくできないところまで研究しちゃった。
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世界ってなにでできているのだろう?

哲学がだんだん技術論のほうに走っていかざる負えないようになってきた現代。確かに『科学的手法』ってのが導入しにくい哲学がなんとか科学に分類されていくためには仕方がないことだね。でも、『科学的手法』では一歩も二歩も先を行っている自然科学。この自然科学が今度はどことなく哲学のほうに歩み寄ってきているような気がするんだよね。
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デジタル・アナログ

デジタルとアナログ。厳密に普通の生活の中じゃ区別してないんじゃないかな。デジタルのほうがカッコいいってひともいれば、アナログのほうが偉いってひともいるけど本来の意味では使ってないもんね。(そろばんなんてデジタルなのにアナログ扱いされているもの)でも実際デジタル情報は身近にあるけど本当のアナログ情報なんてあるんだろうか?
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またまた休憩

哲学ってのに少しこだわりがあり過ぎたのかも。考えてみればもともとすべてのものに『なぜ?』って疑問を投げかけていたのが哲学ってものなんだからじぶんの中で「哲学とはこうあらねば」なんて考えるのは不遜ってもんだよね。だから少し休憩して、哲学がどうこうじゃなくて単純に雑学をためていくってことをしてみよう。
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ハイデガー

もともとはフッサールさんから現象学を継いでくれる人って期待されていたんだけど、途中からお互いにズレが生じて来たみたいだね。ハイデガーさんが現象学を捨てたとかではないんだけれどその使い方の方向性が違ってきた。『存在者』『現存在』に表されるようにハイデガーさん、『人』そのものの存在に目を向けたってことじゃないかな。
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科学から哲学へのアプローチ

19世紀から20世紀にかけて自然科学が目覚ましい発展を遂げた。なにより観測装置の充実によって実験・観測の重要性が増していった時代、哲学にもその手法が求められるようになってきたってこと。ただ、観測装置としては不安定な『精神』というものでいかにして外部世界を観測していくかの方法論が哲学のひとつの流れになっていく。
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プラグマティズム

哲学の主要命題『真実』と『事実』、人間には『事実』ってものは絶対に理解することはできないんだよ。ってのがカントさんあたりの主張。それ以前からの観念論ではどうしても本質ってのが漠然としか語られなかったんだ。そこでパースさん、科学の実験手法を導入することで推論として『事実』に近づけるってしたのがプラグマティズム。
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さあ、アメリカに渡ってみよう

アメリカって国は若い。もちろん国としての話で大元は西欧の文化思想を引き継いではいるけれども。ある意味親子の関係に似ているかもしれない、親の教えをこどもなりに解釈して新しいものにしていく。そんな関係が西欧とアメリカの間にはあるように思える。哲学も新しい方向性というよりも新しい解釈がアメリカの哲学だともいえる。
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ニーチェ 補足

ニーチェが影響を受けたといわれるショーペンハウアーは紹介しているから、それ以外の古代ギリシャ哲学とインド思想を少しだけ紹介しよう。とくに仏教、その中でも上座部仏教の影響は大きかったような気がする。今回は『犀の角』を書いてみるけど、それ以外もおもしろい。今の大乗仏教と違って上座部は哲学要素が強いように思えるんだけど。
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