散歩の途中

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『時』『空』そして『意』

宇宙は『時』『空』『意』で成り立っている。ってなんのことだかわかるわけないよな。『空』を物、いわば3次元空間とすると宇宙の構成ってものはそこに『時』を加えた相対論で言われる『四元物理量』と考えるとこの禅問答みたいな『時』『空』はつかめるかもしれないけど、はてさてこの『意』っていうのはなんなのだろうか?
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時間と空間

『散歩の途中』の続き。といってもつながるはなしじゃないし、断片的な羅列になってしまうしかないんだけどね。在ると物そのものを何て呼びか。『空』これって意味があるのかも。
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原点

まじめに『量子力学』なんてものを書いていたつもりなんだけど、やはり素人の悲しさ。頭の中に『?』が浮かんじゃうとその疑問に答えるためにどんどん『?』が増えていってにっちもさっちもいかなくなっちゃうんだよな。今はひとまず『相対性理論』を少しでも理解するために悪戦苦闘中。その間少し脱線してみるね。
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人類の英知ってそれほど馬鹿にしたもんじゃないよ

時・空・意をこの宇宙を考えるための土台にする。それはいいけど、根本的な問題が残る。『ぼく』ってなに? どうすればいいの? ってね。それを考えだしたらまたはじめるハツカネズミの回し車。だからとにかくこの土台の検証をしてみようよ。だからどうなるもんじゃないと思うけどひとまずは取っ掛かり。哲学あたりからいってみよう。
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生命

生物ってのは詰め込まれ過ぎた意を掻き出す排水装置みたいなものなんだそうだ。そして人間(セカンド)はその排水装置の最終兵器。いってみれば溜まった水を汲み出す大型のバケツってことだね。ただ困ったことにそれだけ容量の大きなバケツになるとその扱いが難しくなるんだ。だから人間(セカンド)の取り扱いには注意が必要ってことだね。
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時・色・意

この世界を構成する三つの要素。『時』『空』『意』。時はその名の通り時間、空は物なのかな? 物って言うとそこにあるものって感じだけど、あることもないことも含めての存在ってことなんだね。そしてその時と空がつくりだすドラマを見ている(観察している?)のが意ってことなんだろうね。
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足場

ネットってのはおもしろい、何かを探そうとするとなんとかなるもんだ(もっとも自分に都合のいいような偏った情報ばかりが入ってくるけどね)。死だの生だの考えてみてもっわからない。でも調べてみたら同じような人がいるんだね。もちろん本当かどうかなんてわかるわけもない。でもそれを足場にしてみてもおもしろいかもよ。
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さあ、はじめよう

なにかを考えようとすれば元ネタがいるよね。元ネタってのはおかしいかもしれないけどすくなくともじぶんの立ち位置ぐらいはわかっておきたいよね。今の世の中便利になった。インターネットっていう知識の泥沼がすぐ隣に待っていてくれるんだから。考えたことを何かに使うわけじゃないんだから少々無茶な思い付きでもいいじゃない。
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