散歩の途中

散歩の途中

目的論(再稿)

目的ってなんだろう。目標とか指針 行動原理。いずれにしても将来や未来にあるべき姿を仮想するってことなんじゃないのかな。では現状で描いた将来の展望が達成された時点で仮想される次の目的には現状の目的との整合性はあるのだろうか。果は因にあり因は果にあり。因・縁・果の仏教的解釈だけど、目的は果なのか因なのか どちらだろう?
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進化(再稿)

『セカンド』。未だに説明不足で理解できにくい『意』を大量に開放するための装置ってことだけどこれでわかれっていう方が無理。なにより『意』ってなんだ? ってことだよね。哲学の世界では類した言葉が出てくるけど使い方はバラバラ。魂とか精神とか心とか…… ある意味ある種の宗教で出てくる神の一部が切り取られたものに近いかもしれないけど。
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ここはどこ? わたしはだれ?

『散歩の途中』のメモ起こしをしているつもりなんだけど、順番に書いていくととてもじゃないけど他人に伝えられるのに耐えられない文章になっちゃうんだよ。だからいつもの脱線。メモに出てくる『詐欺師』ってものに触れてみよう。『詐欺』『営業』『節介』これらの違いっていうのは何だろう? 刑事と民事じゃ考え方に違いがあるみたいだけど。
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『意』 無秩序な観客 (再稿)

生命とはなにか? 結局のところ正解ってものにはたどり着けないのかもしれない。だからあくまで仮定もしくは妄想。物質内の存在に時間制限があるとすればそれは内部の『フォース』を0にするための時間制限。大量の『フォース』内包してしまえば放出エネルギーを増やす必要がある。その増やされたエネルギーが生命 ってことじゃないかな。
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宇宙(再稿)

56億7000万年。この時間には意味は無い。時間単位は人間が決めただけのもの。なにより太古の一年と現在の一年じゃ長さが違う。ビックバンから約138億年と言われている(今のところ)のも現在の時間単位でってこと。ここに出てくる数字に意味は無い。ただそこに語られる仏教に通じるような話に数字というデータを付け加えただけなのかも。
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『時』『色』そして『意』(再稿)

宇宙(世界)は時間と空間で出来ている。書き込みの言葉を使うと『時』と『色』で出来ているってことだけど、そこは納得できるような気がする。モノが在ると存在するということは別物。これもわかるね。観測されなければ存在自体意味を持たない。これもわかるかも。誰もいない森で倒れた木は実際に倒れたのか倒れなかったのかって話だもの。
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時間と空間(再稿)

世界は物と時間で構成されている。相対性理論みたいな科学的なことじゃないよ。なにかを認識するためには対象の物と時間の流れは必要ってこと。ここでは『物』のことを『色』と呼んでいるんだね。色即是空という言葉があるけど どうも『空』は因と縁があって初めて存在するみたいなんだ。だから『色』は因 『空』は果ってことなのかもしれない。
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原点(再稿)

10年くらい前に出会った『散歩の途中』と『コレスでお茶を』という書き込み。ブログだったのかネット小説だったのか覚えていないし 今ではどう検索してもたどり着けないんだけどなぜかはまっちゃった。断片をメモしまくるぐらいにね。あの時 コピペってことを知っていれば全文残せてたんだけど そんな初歩のことも知らなかったんだよ。
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人類の英知ってそれほど馬鹿にしたもんじゃないよ(再稿)

散歩の途中の書き込みは人間の無力さが前面に押し出されているみたい。ただ散りばめられている『仮定』を拾い集めてみるとほんの少しだけど希望が出てくるんだよね。「知覚できないものを認識する能力」とか「切り離された意」とか「認識が『時』・『色』に及ぼす影響」だとか。『仮定』がわかれば面白いことになりそうな気がするんだけどな。
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生命(再稿)

時は均一に色は少し歪に収斂 そして意はより歪な分布をとってしまう。そのアンバランスさを解消するために『生命』というものは発生。その生命の中でも極端に意をその内に内包し過ぎたものはセカンドと呼ばれる歪な生命形態を持つことになる。人類はそういったセカンドと呼ばれる生命形態の一種。ただセカンドには常に危険が付きまとってしまう。
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