散歩の途中

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勢力争い Ⅱ (再稿)

『戦う』か『逃げる』か 生物の生存戦略の2大手法。ほぼ同等の力を持つものの間では『戦う』という戦略も考慮される。だが あきらかに力に差がある場合『逃げる』か『降伏する』かの選択しかない。だが逃げた先に何があるのか? 種としての生存戦略としては正しい。だが 個体にとって逃げるという戦略の先に未来はあるのだろうか?
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勢力争い(再稿)

環境の変化が種の進化を促進させる そういった意見は多い。もっとも ミッシングリンクのように実際にそうだったのかはわからないが。ただ そういった進化の過程は数千・数万年という時間の経過と共に行われているのだろう。その変化の過程の渦の中 たかだか数十・数百年の存続しか許されていない『個』にとって進化とは何なのだろうか。
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昆虫類・両生類(再稿)

進化の過程として水中から陸上へ進出した一部の生き物。よく言えば開拓者などと呼ばれる時もあるが じっさいは戦い敗れた敗残者の逃げ場所が陸上だった だけなのかもしれない。時間の経過と共に植物もだがより動物としては種々の生き物が派生していく。時代の覇者の衰退 敗者の復権 新興勢力の台頭 その循環が繰り返されていく。
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地上生物(再稿)

地球での生命の誕生は海と言われている 水が生命を育むってはなし 穏やかに生命を繁栄させるには海中を単一生物を埋め尽くせば良いいけど単一の生命体だけでは突発事態で全滅の恐れもあるんだ だから種の多様化が必要 でも多様化は種vs種の争いを起こす そして争いには勝者と敗者が 争いに敗れた弱者が逃げ出した先が地上だったんだろうね
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新天地 Ⅱ(再稿)

ニッチ 広義な意味ではフィールド 狭く言えば隙間。どちらにしても存在できる場所ってこと。ニッチの取り合いや狭いニッチの発見進出が生物史でも経済史でも繰り広げられていく。いかに未開の新天地とはいえ繁栄し続ければいずれはそこに存在するニッチは少なくなる。逃げ出すことが出来なくなって起こるのが真の意味での生存競争なんだろう。
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新天地(再稿)

負け組・勝ち組 弱者・強者 今の時代よく使われる言葉。ただ何を持って勝ち負けや強弱を決めるんだろう。勝負はルールの上で 強弱は個人や他者の判断によって決められるのかな。だとすると ルールなんて時と共に変わっていくし 個人や他者の判断も時と場所で変わっていく。勝ち負け 強弱は時代の思い込み そんなものかもしれないね。
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弱肉強食の世界(再稿)

生きるということが戦いだとするならば当然そこには『勝』と『負け』があるはずなんだ。現代の日本では勝ち組だとか負け組なんて言葉が溢れているね。ただ勝ち負けはルールの下でされる判定。そしてそのルールと判定を決めるのは試合結果をどこで だれが見るのかによって変わっちゃう。もしかすると負け続けることが最大の勝利かもしれないね。
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そして多細胞生物へ(再稿)

生物の進化(特殊化)は種族間の争いから始まっているのかもしれない。そこに自然現象による大異変があって次のステップがはじまる。今のところ人類が他の種族との争いになる雰囲気は無いけど人類の進化もやはり戦争が影響っていうのは大きいよね。その進化の途上で何らかの自然現象の大異変が起こったら…… 次のステップってなんだろう? 
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シアノバクテリアから真核生物へ(再稿)

種が在ることを目指す生物と個の存続を求める生物。外部環境に己を合わせて変化させようとする生物と己の都合の良いように外部環境を変えようとする生物。どちらもそれなりに環境変化に対する方法としては一長一短がある。ただ地球上でもこれまで起きた来たような想像を絶する変化を前にすればどちらもそれほどの意味は持たないのだろうね。
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生物(再稿)

この話は学術的考察の元に書かれたものじゃないんだと思う。だから現代の定義からすると個々の名称には違和感のあるものが多いと思うんだ。ただ現代では研究が進んで少しの差異でも個別に名前がついてしまうからややこしい。だからここでは単純に 外界に己を適応させる生物と外界を己に合わせて変革しようとする生物の差ってことにしよう。
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