科学から離れる前に

雑学を収集しようじゃないか雑学
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環世界

生物(人間も含めてだよ)の

精神を調べる場合

『精神』そのものを観測する方法は

今のところ無いよね

『行動』という

精神の痕跡を調べることによって

推測するしかないってことなんだ

生物の中で

特に行動のわかりやすい動物の

行動研究をする学問が

『エソロジー』

(行動生態学とか動物行動学 

比較行動学なんて言われるね)

だと思うんだ

そのエソロジーで

基礎の考え方として扱われている

基本概念のひとつが

ティンバーゲンさんの

『四つのなぜ』

っていうのは有名

でも もう一つ

忘れてはいけないものに

『環世界』

って考えかたがあるんだ

現代では

メジャーな説なのかどうかを

ぼくは知らないけど

人間も含めての

『生物』を考えるときに

必要な考えかたじゃないのかな

(ぼくの思い込みだけどね)

エクスキュルさんっていう

ドイツの生物学者が

(哲学者とも言われるね)

提唱した説なんだけど

「すべての生物は

自分自身が持つ知覚によってのみ

世界を理解しているので 

すべての生物にとって

世界は客観的な環境ではなく 

生物各々が

主体的に構築する独自の世界である」

という

ある意味あたりまえのこと

なんだけど

ただ ぼくたちが

(人間たち)

生物やモノを分析しようとするとき

どうしても

人間の視点ってものが

捨てきれないでしょう

でも 実際は

すべての生物がそれぞれの種に特有の

知覚世界を持っているはずなんだよ

そして 

その知覚を通じて

行動しているんだってことを

明確にしようとしたんだね

知覚って言うと

どうしても『空間』的なものを

思い浮かべちゃうけど

エクスキュルさんは

『時間』も知覚によって

左右されるって

言っているんだ

個々の生物種は遺伝子によって

形質の違いを伝えることで

その差異が生まれるという説は

『今』のところ正しい仮定として

否定されてないよね

では 

その遺伝子が伝えているものはなんだろう? 

もしかすると

生物それぞれ独自の

『時・空間』というものを

伝えているのかもしれないんだそうだ

エクスキュルの影響

環世界概念と

そこから派生する考えかたは

動物学者たちには

それほど影響を

与えなかったみたい

一部のエソロジー関連の学者たちには

ある程度の支持者がいたみたいだけど

どちらかと言えば

哲学者たちの方に

影響を与えたみたいだね

哲学もそうだけど

科学っていうのは

あくまでも人間の

バイアスがかかっちゃう

これは仕方のないことなんだし

人間のバイアスなんて言わなくても

擬人化することによって

人間は周りの世界を理解しているってことは

間違いないんだ

それこそ

人間の環世界ってことかもしれない

『機械論』って考えかたを

覚えているだろうか? 

使う人によって

ニュアンスが違うから

ぼくの書く定義が

ずれているかもしれないけど

イメージとして

自然現象とか世界全般を

心や精神や意志 霊魂なんかを抜きにして

因果関係(因果連鎖かな)だけで

解釈しようとする考え方だね

極端な例で言えば

『ラプラスの悪魔』を

目指そうってこと

科学は

人間バイアスから距離を置いて

研究するためにこの機械論を

前面に押し出してここまで発展してきた

と言っても大げさじゃないと思うんだ

機械論や合理主義 

それに理性主義っていうのは

科学の基礎を支えてきた考え方

だけど 現代じゃ物理学の世界でさえ

量子力学なんて言う

機械論に『?』を投げかける

研究も出ているけどね

この機械論は

科学と名乗った学問である以上は

基礎とされているんだよ

もちろん

心理学も生物学も

科学と名乗ってしまった以上

この束縛からは

逃れられなかったわけなんだ

エクスキュルさんはこの環世界概念で

特に生物行動においては機械論的な説明は

無意味なんじゃないか?

という疑問を

提示したのかもしれないんだ

情報としての遺伝子

「遺伝子が利己的である」

という考え方は

ある意味納得できるような気が

するんだけど

なんとなく引っかかるところも

あるようにも思えるんだ

すごく単純で

あきらかにぼくの知識不足が

原因なのはわかっているんだけど

遺伝子ってものが

なにを決定するのか? 

ってことなんだよね

なにを決定するのか

というより

何を伝えているのか

ってことなんだ

DNAが設計図で

RNAが現場監督

という考え方は

いまのところ

『仮説』として『真』とされているよね

でも 設計図が

長い時間の中で

少しずつ変化していく

そのことについては

設計図自体の摩耗や

転写される設計図の偏り

個体の経験による逆転写

なんて原因が

色々考えられているけど

今のところ

正解とされる『仮説』は

確定されていないんじゃないかな

では その設計図とはなにか? 

って問題が出てくるよね

設計図って言い方をすると

それこそ生物を司る

『神』がどこかにいて設計図を書いている 

なんて 勘違いをしそうだから

設計図というより

その種の持つ情報を代々繋いでいくもの

というように考えればいいのかもしれない

現代の生物 もしくは生命にたいする考え方は

生命とは神秘なものではなく

情報過程でしかない という意見が

大勢を占めているそうだ

生物学の主流が分子レベルの

それこそDNAなんかに代表される

実体を解析することによって

『科学的』に観測する方向に向かっている

ということは事実

そして その流れの中で

そこそこの結果を出している

ということも事実だよね

構造としては

生物もコンピュータも同じで

情報というものを

01』というデジタル情報で

伝えていくという捉え方

そこに意志なんかを導入する必要なんて

ないってことになる

でも

情報っていうものを考えてよ

情報はただ『在る』だけじゃ

意味が無いんだ

情報を読み取る

(解釈するかな)

存在が必要とされるんだよね

遺伝子が利己的だということは

遺伝子に意志があるということに

ならないだろうか?

言い換えれば 

生物(生命)が情報を未来に向けて

発信することが遺伝の最重要命題だって

考えられないかな

では

その情報を読み取る存在は? 

さて困ったもんだね

その時点で

『生』を送っている個体としての

生物なのか

それとも

はるか未来に設定されている

「なにかの存在」なのか

もしかしたら

あまり触れたくはないけれど

『神』という存在なのか

じつは

すでにその研究も

おこなわれているらしい

生物学(生命学)としては

異端かもしれないけど

DNAやその他の情報を

解釈する主体はだれ(なに)なのかの

研究があるんだよね

『生命記号論』って

聞いたことがあるかな?

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