memento mori

自問自答

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『メメントモリ』 どうせ人は死ぬんだよって たぶん一つの事実。だから人はどう生きるかなんて考えちゃう。でも『死』 特に自分の『死』ってなんだろう? 他人の死は理解できるけど自分の『死』に実感がわく? 宇宙(存在)・時間・意識を突き詰めればなにかわかるのかもしれないけど未だ人類の研究はそこまで進んでいないんだよね。
自問自答

哲学編の中途半端な結論

精神が主か肉体が主か。なかなか結論の出ない問題だよね。ただじぶんが考えていると思っていることの約50%は遺伝によってもたらされているもの。残りの50%の学習(努力でもいいけど)による習得もそのほとんどは進化・時代・環境の刷り込みによるものだからね。果たしてじぶんという『個』のアイデンティティはどこにあるんだろう?
自問自答

精神と肉体

存在と現存在。言葉にすればかっこよく聞こえるけど単純に自分自身とそれ以外の全宇宙 (世の中のすべてかな)の関係性のことだね。ぼくたちは自分の持っている五感でだけ世の中と接している。五感なんてたかが知れているんだよ。暗闇の中で手探りで動き回っているのと大差ないぐらいに。そんな状態で世の中のことが正確にわかるわけがないよね。
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自問自答

ひとまずここまでのところ

個が宇宙(存在)は認識できないというのは哲学の中で多数を占めている意見みたいだね。個(人間)は存在の一部であるからとか 生物としての認識能力の限界とか 主張にはそれぞれ理由が述べられているけど 存在の本質に触れることは至難ということで一致しているようだ。その意味では自然科学者の方が挑戦意欲は大きいのかもしれないんだ。
自問自答

『存在』と『存在者』

ハイデカーさんの思想はすごいと思う。だけど今回は思想は無視して言葉だけを拝借してみよう。『存在者』を人間であるってことを無視して 『現存在』にとって関係性のあるものすべてと考えたらどうだろう。その関係性には濃淡はあるし まるで接点のないものもある。でも それが『存在』のいわゆる『行動の軌跡』になるんじゃないだろうか。
自問自答

人間ってものから少し離れてみよう

『存在』と『現存在』 言葉にこだわらなければ『人間』と『自然』の関係のように扱われて研究されている。『現存在』と『存在者』 これも個人と社会の関係として研究されているね。要は人類とそれ以外と 人類の中の社会構造の研究は進んでいるわけだ。でもぼくたち(ぼく)の一番知りたいのは『個』と『それ以外』 ってことじゃないのかな。
自問自答

存在 存在者 現存在

『哲学』 なんてかしこまらなくても人間の根本的に抱いている疑問の一つにこの世の中っていうのはなんだろう? というものがあるんじゃないかな。でも哀しいかな人間は社会的生物。世の中を生き延びるために他者との関係も重要になってしまう。他者との中の個と世界というより大きなものの中の個。どちらが個人にとって大きい存在なんだろう?
自問自答

そろそろ戻ってみよう

自分(ぼくのことだよ)ってものはなんなんだろう? 結論も出ないし 考えたところでどうしようもないことだけど だれしも一度は頭の中をよぎった問題じゃないかな。少なくともぼくはそうだったんだ。自分は何か? 突き詰めれば生きている意味の探索。それをもっと突き詰めれば『死』ってなにかになっちゃう。 ってカッコつけすぎかな。
雑学

生命記号論

遺伝子を利己的とするとその目的はその設計図を子孫に伝えること。設計図という言い方をするとなにかに与えられたものという勘違いがおきちゃうから 設計図じゃなくてその個(種)の持つ情報を未来に伝達することが第一命題ってことでいいんじゃないかな。では情報ってなんだろう? そしてその情報を読み取る相手とはなんなのだろう?
雑学

科学から離れる前に

遺伝子が利己的であるということは自分の持つ情報をはるか未来の子孫に伝えようとしているってことになる。個の存続年数は限定される。その中で情報だけを繋いでいくんだね。だけど情報というものはそれだけでは意味を持たない。その情報を読み取るものが必要とされるんだ。では遺伝子が繋いでいく情報はいったいなにものが解読するんだろう?
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