memento mori

散歩の途中

セカンド

時と色と意 この三つ巴で世界は成り立っているってことにしておこう。ただ個々の星々に存在する意の量が歪になるこれもそんなものだとしておこう。開放時間は一律  量には多少がある。だとすれば量に合わせた解放手段が必要。その量があまりにも多い場合特別な解放装置が必要 その解放装置の名を『セカンド』と呼ぶ ということらしい。
散歩の途中

散歩の世界

世界(宇宙)は誤って出来てしまった それが「散歩の途中」の世界観。誤りの結果 時と色(物質)在るということになる。時と色はその誤りの修正のためお互いを そして己自体を消滅させるために動き出す。ただ 存在の無いものは消滅できない。そして存在するためには世界を確定させる必要が。どうしようもない矛盾を抱えて世界は動いていく。
散歩の途中

散歩の途中 前提

以前 相対性理論を書くのに勉強が追いつかなくて『散歩の途中』のメモを繋ぎで書いたけど漠然とし過ぎてわからなかったよね。だから再稿という形で書き直したけど やはり骨組みだけでももう少し詳しく書いておかないとなんのことかわからないような気がしてきた。まずはこの世界(宇宙)の構成 『色』と『時』から始めてみようかな。
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散歩の途中

そして新天地 Ⅱ(再稿)

初期の『散歩の途中』はここまでだったね。相対性理論を書きかけて行き詰って仕方が無く書いていたってこと。だけど 結局はぼくの一番興味あるテーマはこの『散歩の途中』。以前に軽く触れていた部分をもう少し突っ込んで書いておかないとどうしても全体が分からなくなるから困ったもんだ。だから『散歩の途中』をもう少し続けてみよう。
散歩の途中

そして新天地 Ⅰ(再稿)

外界(自然)と喧嘩別れしなければ過当な生存戦略は必要なかった。進化という外界に流されて生きることを拒否した瞬間から生物の悲劇が始まったのかもしれない。たしかにそのおかげでより高次の存在に進んだように見える だが高次=幸福とは限らないのが世の常。もっとも 生命というものを手にした瞬間から悲劇が始まっていたとも言えるのだが。
散歩の途中

勢力争い Ⅱ (再稿)

『戦う』か『逃げる』か 生物の生存戦略の2大手法。ほぼ同等の力を持つものの間では『戦う』という戦略も考慮される。だが あきらかに力に差がある場合『逃げる』か『降伏する』かの選択しかない。だが逃げた先に何があるのか? 種としての生存戦略としては正しい。だが 個体にとって逃げるという戦略の先に未来はあるのだろうか?
散歩の途中

勢力争い(再稿)

環境の変化が種の進化を促進させる そういった意見は多い。もっとも ミッシングリンクのように実際にそうだったのかはわからないが。ただ そういった進化の過程は数千・数万年という時間の経過と共に行われているのだろう。その変化の過程の渦の中 たかだか数十・数百年の存続しか許されていない『個』にとって進化とは何なのだろうか。
散歩の途中

昆虫類・両生類(再稿)

進化の過程として水中から陸上へ進出した一部の生き物。よく言えば開拓者などと呼ばれる時もあるが じっさいは戦い敗れた敗残者の逃げ場所が陸上だった だけなのかもしれない。時間の経過と共に植物もだがより動物としては種々の生き物が派生していく。時代の覇者の衰退 敗者の復権 新興勢力の台頭 その循環が繰り返されていく。
散歩の途中

地上生物(再稿)

地球での生命の誕生は海と言われている 水が生命を育むってはなし 穏やかに生命を繁栄させるには海中を単一生物を埋め尽くせば良いいけど単一の生命体だけでは突発事態で全滅の恐れもあるんだ だから種の多様化が必要 でも多様化は種vs種の争いを起こす そして争いには勝者と敗者が 争いに敗れた弱者が逃げ出した先が地上だったんだろうね
散歩の途中

新天地 Ⅱ(再稿)

ニッチ 広義な意味ではフィールド 狭く言えば隙間。どちらにしても存在できる場所ってこと。ニッチの取り合いや狭いニッチの発見進出が生物史でも経済史でも繰り広げられていく。いかに未開の新天地とはいえ繁栄し続ければいずれはそこに存在するニッチは少なくなる。逃げ出すことが出来なくなって起こるのが真の意味での生存競争なんだろう。
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