memento mori

雑学

カント

哲学の巨人と呼ばれるカントさん。もともと『基礎付け主義』の基礎に『理性』を置いていた人だけど、その理性ってどこまでのことができるのかを考えだした。人の思考をつかさどる『感性』『悟性』『理性』から『純粋理性批判』って論文で人の持つ理性の限界を考察していったんだ。
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経験論

合理論と経験論ってのははるか昔から議論されている哲学の『基礎付け主義』での基礎を何に求めるかの論争。人間ってのは本質的に物事を理解できる理性ってのを持っているのか、もともとは白紙の精神に後付け(経験)で物事を理解できるようになるのかって難しい問題だね。
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付記

デカルトさん・スピノザさん、そしてパスカルさんを書いてきたけどどうにも出てくる単語がまぎらわいい。だからつたない説明になるかもしれないけどできるだけ書いてみる。本当に哲学者、もしくはその本を出版する人たちってわざと一般の人たちにわからないように書こうとしているんじゃないかって思うほどむずかしい言葉を使うからね。
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パスカル・スピノザ

デカルトさんは偉大だった、ってのは多くの人が認めているところ。ひとつの基礎を築いたってのは確かだろう。でもその基礎からどんな構築物を立ち上げるのかは人それぞれだと思う。パスカルさんやスピノザさん、デカルトさんと同時期の思索家なんだけどそれぞれにデカルトさん(特に明晰判明に対してだろうけど)違う角度から再考していく。
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そして、デカルト

さあ、デカルトさんもおしまい。『懐疑主義』でとことん追い詰めて『自分(われ)』って土台を築いたデカルトさん。その結論から当然のように派生する『実体二元論』。このふたつだけでもぼくはデカルトさんにあこがれてしまうよね。そしていまじゃあいてにされなくなってしまった『エーテル』。これだってぼくのなかではすごい考えだと思うよ。
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デカルト 2

すべてを疑ってやっと考えているじぶんは存在しているって結論付けたデカルトさん、まだ納得しなかった。もし神やそれに類するものからの干渉を受けていたらどうだろうって。それを考えたのが『神の存在証明』。それもクリアーしてやっと土台を築いたデカルトさん、そこから思索を伸ばそうとする。そこで出てきたのが『機械論』と『実体二元論』
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デカルト 1

「われ思う、ゆえにわれあり」で有名なデカルトさん。徹底した懐疑論でじぶんのまわりを否定しまくっていく。否定して否定して最後に残ったのが「疑っているじぶん」という存在。やっとじぶんの足場が見つかったわけだ。それ以降の「明晰判明」、足場から組み上げていった結論、には後世批判もあるけどこの足場はすごいものなんだ。
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濁流の中で

ルネッサンスが巻き起こした激動の近世。時代が抱き流のように流れるとどうしても人の思考は現実に即したものになってしまう。平時には『個』のありようを、有時には『集団』のありようをってのは人間の自然の思考過程。でも平時にも有時にもあまのじゃくな人はいるもんだ。デカルトさんは近世の思想の濁流の中で『個』の本質を見つめたんだね。
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リヴァイアサン

近世の思想の特徴、実務に特化した考えを発表したホッブスさん。国ってのは何だろうって言いだした。でもちょっと待ってね、この時代の国家ってのは国が主体で国民ってのは国の付属物でしかないって考えだったんだ。そんな中で国の必要性を考察して、なおかつ国民と国ってのはあくまでも対等な契約関係なんだよとしたホッブスさんはすごいね。
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1000年の眠りから目覚めて

大航海時代が始まってやっと1000年以上も続いた哲学空白時代に幕が下りる。あたらしい感覚の哲学が動き出したってことだね。古代ギリシャ時代から比べると実験や観測の精度は上がっているし、どちらかといえばキリスト教的オカルティズムから現実実証主義を重視しようとする風潮が台頭してきた。ベーコンの帰納法なんかはその典型だろうね。
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