memento mori

雑学

ニーチェ

ニーチェはぼくのなかでは壮大な叙事詩・抒情詩の混合作家。ヨーロッパでは思想として目新しさがあったかもしれないけど、東洋世界でははるか昔から考察されていた思想のような気がする。だからその思想をそのまま伝えるのではなくあえてわかりやすい文学にしては発表した。なんてのはぼくの偏見に満ちた捉え方でしかないんだけど・・・
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マルクス

社会主義の生みの親に思われているマルクス。実際のところは観念論のヘーゲルが出発点、事実の探究を望んでいたようだ。だが、だれもが突き当たる現実の問題と観念に語られる理想とのギャップが観念論に対して懐疑を抱かせる。そこで観念論の中でも個の人間に焦点を当てたフォイエルバッハの影響と経済に対する洞察が社会主義へと向かわせる。
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キルケゴール

観念論への批判、特にヘーゲルさんへの批判から実存主義を打ち立てたといわれるキルケゴールさん。本質はキリスト教に救いを求める敬虔なクリスチャンだったんだろうけど、その出発点に今苦難に面している人間、過ぎた歴史ではなく歴史の真っただ中にいる人間にスポットライトを当てることを主張した功績はやはり注目されてよいのかもしれない。
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雑学

ダーウィン

人間と世界の関係性を問い詰めてきたのがこのあたりまでの哲学の主流。もともと思索の根として発達した哲学が果実が実り過ぎたせいでそのありようをもう一度問われるようになってくるのが現代。自然科学の数々の発見という果実。とくに生物学でのダーウィンの進化論は多くの哲学者たちに影響を与えたといっても過言ではないかもしれない。
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現代への序章

近代から現代へ移り変わっていくといっても、コマ割りが変わるように突然変化するわけじゃないんだよな。過去を振り返った時には変化の分岐点はわかるけど、その時代・流れの中にいる者たちにとっては気づかないうちに変わっているものだろう。ミルさんやフォイエルバッハさんは近代から現代への時代・考えの変化の橋渡しをしたひとなのかも。
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現代の哲学へ向かって

古代ギリシャ哲学からドイツ観念論。ほとんどの初歩の疑問は出尽くしているのかもしれない。人がつかめる『真実』と実際の『事実』の違い。『事実』にいかに到達できるのか。もしかするとひとには触れることすらできないのかもしれないものに近づくには。多くの人が考え続けてきたんだね、さあ、現代に向けてどんな展開が待ち受けているのやら。
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ヘーゲル

弁証法を使えば人が心の深淵に潜り込むことができるのか? って疑問。ヘーゲルさんだってそんな大それた考えを持っていなかったみたいだよ。哲学者たちが本当に知りたかったのは外界と切り離された人の中の『真実』からいかにしてこの世界本体の『事実』を見つけ出すのかってこと。そのために方法をいろいろ模索してたんだろうと思う。
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弁証法

弁証法って人間が言葉を使うようになって他人とコミュニケーションをとりだした時から人間に備わっていた能力だと思うよ。今は哲学に偏向して書いているから対他者や対組織(国でもいいけど)用の技術に重きを置いていないけど一般の社会生活には欠かせない技術には違いないよね。その技術を内に向かう思索に使おうとしたのがヘーゲルさんかな。
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論理的思考

論理的思考って人は言いたがるけど、そんなに大したもんじゃないのかもしれないよ。『演繹』『帰納』『推論』『類推』なんて分類わけしているけどもともと人間が持っている思考法に名前を付けただけのこと。どの方法にしても因果関係を他人に説明するためにつくられた技法のような気がするんだけどな。
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一休み

古代ギリシャからショーペンハウアーさんまで駆け足でやってきてすこし息切れ。哲学の研究者じゃないからこれから先どんなすごい考え方が出てくるのかは知らないけどぼくの感覚だけで言うとこのあたりまでで大元の考え方(疑問?)は出てきているんじゃないかな。だから少し休憩をはさんでわかりにくいところをもう一度考えてみようよ。
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