memento mori

雑学

生得的行動

生得的行動について少しだけ触れてみようか。生得的行動っていうのはその生物が生来持っているいわばぼくの考えている本能に近い行動のことかもしれないね。将来持っている行動ではあるけどその出方には違いがあるみたいなんだ。だから走性・反射・本能という具合に分類分けされているんだそうだ。
自問自答

本能と行動

本能を考える。容易く言うけどあくまでも学問として考えるのならばなんらかの実証データが必要となってくるよね。飲み屋の片隅で持論を語っているだけじゃ学問じゃないんだから。本能を実証しようとするとどうしてもその生物の行動というものを観測・集計するしかないわけじゃない。ただ 行動の分類っていうのは難しいみたいだね。
自問自答

本能の定義をしてみよう

『本能』って言葉を小さいころから使っていたから 現代じゃ『本能』なんて言い方はしないんだよって言われても困っちゃう。だからぼくなりに『本能』っていうのを定義してみたいんだ。だけど本能ってなんだろう?学習や経験の影響を受けない行動のことを本能だという定義もあるけど 学習や経験から得る形質も本能の一部って説もあるんだよね。
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自問自答

先天的理性

人間と他の生物(?)とを区別するのに言語っていうものが出てくるけどそれだけだろうか? たしかに言葉というものの役割は大きいかもしれないけどもっと根源的な違いは無いのだろうか? 生物としての本能 人間としての本能 この間に違いがあるほうがわかりやすいよね。ただ この本能という言葉 現代じゃほぼ死語になっているらしいけど。
自問自答

抽象概念 Ⅳ

人類の思考方法を考えるためには他の生物(だけに限らないけど)の思考方法との違いがヒントになるのかもしれない。情報の入力 伝達については種族間で多少の差異はあるかもしれないけど理屈としてはほぼ同じように思えるんだ。だとすればその情報を記録する能力・方法の違いが人類の特殊性(?)を見つけるカギかもしれないね。
自問自答

抽象概念 Ⅲ

現存在と存在者の違いがどこにあるのか。言い換えればぼくとあなたの違いはもしくは個人と人類の違いはどこにあるのか。ハイデカーさんの言葉を借りれば『死』ってものが唯一の違いだってことになるんだ。現存在・ぼく・個人は死ねばそこで終わっちゃうじゃない。でも存在者・あなた・人類は死んでもぼくと『世界』には影響が無いんだよね。
自問自答

抽象概念 Ⅱ

因果関係なんてものは無い。これって別に目新しい発想じゃないよね。因果関係の元ネタの仏教だって縁があってこその因果だって言っているもの。量子力学の世界=演算子もそうだよね。でも観察することによって『果』が決定するんだったら自分の観測と他人の観測の間のズレがあった場合どうなるんだろう? なにより自分と他人との差ってなに?
自問自答

抽象概念 Ⅰ

人間が『考える』ってことはどういう過程で行われるのか? その一つの考え方にヒュームさんなんかの『印象』『観念』の概念が出てくる。人間は外部からの時々刻々と変わる情報を感覚として蓄えることによって知識を増やしていき その知識(過去の)を使って新たに入ってくる情報を判断するってことなんだ。あくまでも一つの考え方だけどね。
自問自答

考える仕組み Ⅱ

感性・悟性で外部情報を収取する。それを理性が分析判断する。人間が考える仕組みっていうのはそういうことなんだとは思うよ。でも理性ってものは人間にしかないんだろうか?他の生物たちだって理性を持っていると考えたほうが(その機能は違うかもしれないけど)合理的だと思うんだ。だとしたら人間と他の生物との違いっていうのはなに?
自問自答

考える仕組み Ⅰ

『考える』ってことを考えてみよう。ぼくたちが外部の世界を知るためには外部観測器官をフル稼働して情報を手に入れる必要があるよね。その役目が感性・悟性の仕事。でもその最先端にある感性は触れることでしか情報を入力できない。そしてなおかつデジタル情報しか入手できないんだ。その半端な情報でバトンタッチされる悟性も大変だね。
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