多世界解釈 Ⅱ

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多世界解釈の誤解

『ぼくたち』

っていうと怒られそうだから

『ぼく』がはじめて

多世界解釈を聞いたとき

頭に浮かんだのは

『パラレルワールド』ってもの

SF小説なんかでよく出てくる

並行世界とか並行宇宙って

言われるもんだね

多世界解釈がパラレルワールドと

同じようなものかと言われると

あくまでも言葉の解釈の問題になるから

難しいんだけど

科学者たちの使うこの二つは

微妙に違っているように思うな

many-worlds interpretation

parallel world

日本語でも直訳されているけど

どうやらSFやアニメで使われるときの

パラレルワールドの特徴として

同時進行している

世界と世界が情報の交換や

じっさいの行き来が

出来るってことが

ドラマ性を生んじゃうってところ

なんといっても娯楽モノ

人間ドラマが無けりゃ

ドラマとして存在しえないんだから

しかたがないけどね

Aという観測をした人と

Bという観測した人が

接点を持っちゃうってことは

思考実験としては

おもしろいかもしれないけど

じっさいのところ

Aという観測の世界『A

Bという観測の世界『B

ABとが観測された世界『C』に

分岐していくだけだから

物語にはならないと思うよ

多世界というと

いろいろな世界が

混在しているような

受け取られ方をするけど

それらの分岐した世界と世界は

けっしてお互いに

干渉できないまま

併存しているってことだね

だから決して交わらないという意味で

『平行世界(宇宙)』って言葉は

正しいってこと

多世界解釈とコペンハーゲン解釈

多世界解釈もコペンハーゲン解釈も

量子力学においての

波動関数っていうのは何なのか?

と いうことを

説明しているだけのことなんだ

もっと狭めて言えば

宇宙(世界)は

波動関数として成立しているのに

人間が観測すると

一つの実数として

存在しちゃうのは

なぜかってことだね

コペンハーゲン解釈の中では

確率に左右されるのは

量子の世界だけのはなしで

マクロ(ぼくたちが感じる世界)では

波動関数の及ぼす確率が

ほぼ『0』に近いってことで

波動関数を実世界に

持ち込んで考える必要はない

なんて極端な説もあるみたいだけど

(ハイゼンベルグ・カットの

拡大解釈だよね)

どの解釈にしても

『波動関数』が

量子の世界を表しているってことを

大前提にしているんだ

そして 波動関数は

シュレティンガー方程式に

従っているってことだね

コペンハーゲン解釈は

観測という要素が入ると

波動関数が収縮して

結果(確率的なだけど)が

求められるっていうことになる

波動関数の収縮の原理は

未だになぞだけど

結果は求められるから

それでいいじゃないかという

ある意味『経験主義』

(理屈はわからなくても

結果がわかるからいいじゃない

って考えに近いよね)

ってこと

なんといっても

波動関数の収縮って概念が

シュレティンガー方程式では

導けないってところが

弱点なんだ

多世界解釈は

波動関数と

シュレティンガー方程式が

いつでも成り立っているって

考えかただね

観測によって起こる

重ね合わせ問題を

粒子一つ一つの問題として考えずに

多くの粒子の相互作用による

重ねあっている状態が

干渉することができなくなって

別々の世界に

分かれていくってことを

主張しているらしいんだ

全ての波動関数が

そのままある

ってことは重ね合わせの状態も

それぞれ実在しちゃうという

これはある意味

『合理主義』

(経験に由来する認識じゃなくて

明証的な理性認識を重視するって感じかな)

って言えるかもしれない

理屈では多世界解釈を

支持したくなるけど

自分が幾多の可能性の

一つでしかないってことに

納得できるかどうか

自信は無いなぁ

多世界解釈の可能性と反論

自分が可能性のひとつってことを

心情的に受け入れられるかどうかは

個々の人の感覚だから

それぞれの人に

任せるとして

この多世界解釈の考え方は

理論としては

量子力学の矛盾を

解決してしまう考え方だと

ぼくには思えるね

宇宙は関数である

ぼくたちが見ている世界は

観測者としての

ぼくたちが作り出した

世界なんだって

納得するのは難しいかもしれないけど

そう考えると

すっきりしそうに思わないかな

どうしてもぼくたちは

『人間』って生き物だから

『人間』中心に考えちゃうけど

人間なんてそんなに大したもんじゃ

ないのかもしれないんだから

人間は自然の一部って

考えかたもあるよね

だから当然

人間も関数の一部ってことで

いいんじゃないのかな

もちろん反論も

けっこう多いんだよ

なんといってもコペンハーゲン解釈を

支持している科学者が

大多数を占めているんだから

(もっとも量子を専門に

研究している人たちの中では

半々くらいらしいけど)

一番の反論としては

多岐に分かれていく

世界っていうものは

お互いにけっしてまじわることがない

ということは

絶対に他の世界のことは

観測できないってことになる

観測できない世界ってことは

考えるだけ無駄じゃないか

という当然の帰結だね

物理学得意の

実験・観察ができないものは

テーブルの上にのせる価値が

無いってこと

なんといっても

反証や追認がしようがないってことは

無意味だって言われても

仕方がないかも

もうひとつ真っ向から

理論で反証しているものとしては

ペンローズさんを筆頭とする

波束の収縮説の擁護者たち

この多世界解釈は

あまりにも単純(純粋?)な

量子力学解釈に基づいているのであって

重力等の変数を考慮していない

って言っているね

それでもこの多世界解釈

最近の『場の量子論』や

『量子重力理論』の

根底にある考え方になっているみたいだし

はやりの『ひも理論』にも

影響を与えているようなんだ

もっといえば

宇宙的なマルチバース

(『多元宇宙論』だね)

にも組み込まれているってことだね

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