観測

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観測ってなんだ?

量子力学 特に確率解釈では

量子の位置や運動量は

観測するまでは

いくつかの可能性が同時に存在していて

観測した瞬間に

その中の一つの値に

決まっちゃうってことらしい

無理やりこじつけたみたいな

波束の収縮や

射影仮説がいっているのは

そういうことみたいなんだ

ぼくなんかが

勘違いをしてしまうのは

じつは量子の状態っていうのは

もとから決まっているけど

観測するまでわからないんじゃない?

って思っちゃうからなんだよね

でも どうやら量子の世界は

いろいろな状態が

混在(重ねあわされている)している

場所であるってことに

なっちゃっているみたいなんだ

だからこそ 因果関係の崩壊ってことで

大騒ぎになったんだね

原因があって そこから導き出される結果が

いろんな形をとっちゃうとなれば

因果律なんて決められるわけないもの

だけど 問題があるんだ

ぼくたちが量子の世界を

観測(測定でもいいかもね)すると

ただ一つの結果しか出てこないんだ

これはどういうことなんだろう?

言い換えれば

観測するという行為が

量子の世界の状態を

決めてしまうってことになるんだよ

これって矛盾していない?

量子の世界はいろいろな

状態の重ね合わせである

量子の世界を観測すれば

結論は一つしかない

と いうことは

観測って行為は

量子の世界を破壊している

ってことなのかな?

『観測』って

何なんだろう?

観測とは

マクロの世界で考えてみよう

そこまで構えなくてもいいから

人間の感覚で観測ってものを

考えてみよう

一応人間には

五感ってものがあるよね

視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚

目・耳・鼻・舌・指(だけじゃないけどね)で

周りのものを

認識しているってことだね

でも 五つに分けられてはいるけれど

じっさいのところは

ただ一つだけの方法で

人間は外部の情報を

観測しているんだよ

外部観測器官の種類で

違う感覚みたいに

思われているけど

要するにモノに触れるという

『触覚』が人間と外部を繋ぐ

ただ一つの方法なんだ

目は電磁波の内の

可視光線領域のものが

網膜に触れることで

耳は音波が

鼓膜に触れることで

鼻はニオイ分子が

嗅粘膜に触れることで

舌は化学物質が

味蕾に触れることで

指(身体全体どこでもだけど)は

触覚受容器として

物理刺激を感じているってことだね

ようするに観測するってことは

直接的にせよ間接的にせよ

対象物に接触する必要が

あるってことなんだ

極端に言えば

観測っていうのは

対象に何かをぶつけて

跳ね返ってきたものを

調べることで

対象の正体を知るってことに

なるみたいだね

逆に言えば

なんらかの方法で

対象に働き掛けない限り

対象を知ることはできないってことになっちゃう

ぼくたちの日常だと

対象に何かをぶつけなくても

勝手に情報が入ってくるような

気はするけど

たとえばモノが見えるっていうのは

なにか(太陽だったり電灯だったり)が

対象にぶつかって

跳ね返ってくるのを

目が捉えているわけだよね

たしかに音とか

自ら発光しているものとかの

対象から何かを発信しているものは

捉えることは

出来るかもしれないけど

それも人間の外部観測器官

もしくは人類が作り出した

観測装置に捉えることにできる

範囲に限られちゃうんだ

そう考えていくと

観測という行為は

凄く限定的な行為でしかない

ともいえるかもしれないんだ

今 問題にしているのは

量子ってものが

どういう存在なのかっていうこと

対象としての量子のありようは

いろいろな状態の重ね合わせられた

存在だってことが

シュレティンガー方程式で

導き出されたということは

現在のところ『是』として

認められているわけだ

ただ 観測という対象(量子)に

触れてしまった瞬間に

どういう理屈で状態が収縮

そう一点に絞られてしまうのか

っていうことなんだよね

「物理学とは人間に認識できる

自然現象を研究する学問」

だとされている

では、人間の認識ってなんだろう?

量子の観測

量子力学での観測っていうのは

どういうことになるのだろう?

第一観測されたというのは

どの時点を指すのだろう?

人間の五感ってものは

対象に触れるってことで

はじめて相手を知ることができるってことは

納得できるよね

視覚にしても聴覚にしても

突き詰めれば

触覚の一種ってことだもんね

だけど量子のように

極小のものに

直接触れるってことは

まずできない相談

だから対象に何かを

ぶつけて跳ね返ってくるものを

観測するって方法しか

無いんだと思うんだ

だから 観測するためには

こちらからなんらかの

働きかけ(ぶつけるでもいいかな)を

しないといけないってことだね

観測(特に量子の観測)っていうものを

単純化してみようよ

対象物に何かをぶつける

(勝手にぶつかるでもいいよ)

ぶつかったものが

観測装置(人間の目でもいいけど)に届く

その 観測装置に届いたものを

観測装置が感知する

感知したものを伝達する

伝達したものを

ぼくたちが読み取る

ここまで来てはじめて

観測できたってことになるよね

基本的な問題の

何をぶつけたら極小のものに

当たってくれるのかっていうのは

ひとまず無視しよう

通常のα線なんかじゃ

たぶんまともな観測なんて

出来ないと思うから

だから なにかぶつけて

跳ね返ってくるものが

あるという前提で

はなしを進めていくよ

でないと 話が進まないんだから

観測と意志

極小のものにぶつけられるものは

どんなものか?

極小のものは当然質量も軽微なはず

それに影響を与えない方法は

あるのか?

そんな古典物理でも

問題になっていた

観測に対する疑問や

『循環』に対する

疑問にはひとまず目をつぶろう

単純に量子を観測するために

なにかを量子にぶつけたとしようよ

量子力学(確率解釈)では

量子の状態は確率でしか表せない

種々の状態の重ね合わせ

だってことになっているね

でも 観測した瞬間に

一点(点じゃないかな)の

状態に定まるってされている

では その状態が定まるのは

どの時点でだろう?

対象になにかがぶつかった

瞬間なんだろうか?

それだとおかしなことになるね

ぶつかったものが

観測機器(目でもいいけど)に

たどり着くまでも

量子力学でいうところの

観測対象なんだから

あくまで確率でしか

わからないもんね

対象にぶつかったのか

ぶつからなかったのか

どんなふうにぶつかったのか

すべてが確率なんだから

人間で考えてみようよ

ぼくらがモノを見ている状態を

どんどん小さくしていって

量子に太陽の光が当たって

その量子を見ているって感じでね

そうなるとモノの状態は

どの時点で確定するのか

言い換えればモノが見える時点は

どこかって問題

太陽の光が対象に当たる

もちろんまだ観測されていないよね

跳ね返った光が目まで届く

その時横を向いていたらどうなる?

対象と目の間に障害物があるかもしれない

目をつぶっていた可能性もあるよね

たまたま目に入った光が

視覚細胞を刺激して神経を伝わった時点

ってことになりそうだけど

たまたま目に入った光が

正しく視覚細胞に

捉えることができる保証は?

視覚細胞・神経に感知できるほどの

強度があるのか?

なおかつ 今は量子の世界でのことだから

その光でさえ

確率でしか確定できないはずだよね

そうなると『観測』された状態とは

ぼくたちが『観測した』と

意識したときはじめて

対象が観測された

すなわち対象の状態が

確定されたってことにならないかな

対象を対象として認識する

『意志』ってものが

状態を確定させるってこと?

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