コペンハーゲン解釈に対する肯定と否定
やっと『猫』にたどり着けそうな予感が
やっと というか
むりやりここまで持ってきたって
ところかな
ひとつ断っておこうと思うんだ
文献にはよく『確率解釈』とか
『コペンハーゲン解釈』って書かれているんだけど
どうやらこの二つは
同じものを指しているらしい
そして 同時に
これらの解釈の仕方は
きっちり決まっているわけじゃないという
訳の分からないことになっている
さすが量子論の解釈だけあって
解釈の仕方まで
重ね合わせがあるって
感心している場合じゃないよね
不確定性原理を持ち出さなくても
ミクロの世界では
量子の位置と運動量は
不確定だってことには
それほど異論は出てきていない
ってところまではきているんだけどね
量子論の議論で
特に確率解釈で出てくるのが
有名な『シュレティンガーの猫』のはなし
猫が死んでいるのか
生きているのか
それとも半分生きていて
半分死んでいるのかってはなしだけど
そこに行き着く前に
確率解釈っていうのが
当然のようには
受け入れられていなかったってことを
書いておいたほうがいいね
なぜか ぼくたちのところに届く
量子力学っていうのは
確率解釈が前提になっている
はたしてこの確率解釈っていうものが
正しいのかどうかっていうのは
物理学得意の「今のところは」でさえ
確定しているわけじゃないんだ
延々と書いてきたけど
この確率解釈っていうのは
『因果』という法則を
無視しちゃうんだよ
この因果関係が成立しないってことに
物理学者の中でも
反発は多かったみたいなんだ
一番有名なのは
アインシュタインさんだろうね
『神はサイコロを振らない』
なんてことばが
今でも残っているけど
波動関数には
未だ未知の隠れた変数があって
じつは人類がまだその変数を
見つけていないだけだ
ってことらしいんだよ
もっとも 今年の(2022年)
ノーベル賞は
アインシュタインさんに
負け判定を下したんだけどね
それでも あくまで
「今のところ」なんだけど
コペンハーゲン解釈
モノを分解していった先にある粒子が
波動性と粒子性を持つ
そこまではどうやら受け入れられているみたい
もちろん今のところは って
条件付きだけど
もともと確率でしか
量子の位置や運動量が
決められないことを指して
ハイゼンベルグさんが
使った言葉らしいんだけど
どうも使う人によって
その使い方がバラバラなところが
あるみたいなんだ
共通している点で言えば
量子力学は『非決定論』的で
(因果関係が無いってことかな)
なおかつ 測定で得られる確率が
『ボルンの規則』に従うって
ことだけらしいんだ
『ボルンの規則』なんて
また訳のわからないものが
出て来たけど
量子力学においての物理量(オブザーバブル)の
もっとも基本とされる原理らしいよ
発案者のボルンさんの名前から
ボルンの規則だね
(どうも物理学の定理や単位には
個人名が多いね
だから後から学習するものには
混乱を生んじゃうんだけど)
補足で少しだけ書いておこう
補足もくそも
ぼくにはまったく理解できていないんだから
いつものように
書いてあることを
そのまま書くだけだけど
まずオブザーバブル(物理量)
「オブザーバブルっていうのは量子力学では
観測と呼ばれる物理的操作によって
決定できるような系の状態の性質をいう」
ってことらしい
「可観測量、観測可能量と訳すこともある」
そうだよ
「具体的には、位置、運動量、角運動量、エネルギーなどといった
物理量に相当するものである」
これで素直に理解できるなら
こんな回りくどい文章なんか
書いているわけがないよな
たぶん(あくまでもたぶんだよ)
オブザーバブルっていうのは
観測できるっていうことが
重要なんだろうなっては
思うけど
で ボルンの規則
これもそのまま書き写すと
「量子力学においては
量子系について
物理量(オブザーバブル)の
測定をしたとき
ある値を得られる確率を
与える法則のこと」
なんだそうだ
申し訳ないけど
気になる人はじぶんで調べてもらえるかな
どうやらぼくには
いいかげんな解釈も無理みたいだから
コペンハーゲン解釈の解釈
コペンハーゲン解釈の解釈については
不確定性原理を
発表したハイゼンベルグさん
量子力学を育て上げたボーアさん
かれらの解釈を
コペンハーゲン解釈だってする
そういった解釈(ややこしいね)が
主流なんだけど
この二人の間での
確率解釈の捉え方には
そうとうギャップがあるみたいなんだ
量子力学は非決定論的(因果律の否定かな)で
粒子を観測したときの
観測結果が得られる確率が
ボルンの規則に従うというところまでは
前にも書いたけど
認められてはいるんだよね
だけど問題は
『オブザーバブル』ってやつ
単純に書けば物理量ってことなんだけど
正確に書けば
観測(測定)された物理量
ってことになるんだ
この『測定された』ってことは
観測者(観測装置でもいいけど)と
ターゲットの粒子という
ふたつの主役がいるわけだよね
では その観測者とターゲットは
どこで分けられるのか?
っていうことが一つの問題になるんだ
それと観測ができるモノにしか
このコペンハーゲン解釈は
通用しないってことでもあるよね
シュレティンガー方程式が
じっさいのところ
なにを意味しているのかは
未解決の問題かもしれないけど
量子ってものは
観測していないときには
シュレティンガー方程式に従う
ってことは実験結果が示してるから
これは認めてもいいんじゃないかな
(もちろん今のところはだけど)
量子を観測すると
粒子としてその存在は
見つけることができる
これは波動関数の収縮として
一つの測定値として
現れるという
これも実験結果から
良しとしよう
この現れた測定結果が
どんなふうに得られるかっていうところは
確率的にしか予測ができない
(だから確率解釈なんだよね)
そしてその確率は
ボルンの規則が正しく表している
このあたりがコペンハーゲン解釈の
一致する見解みたいなんだけど
観測というところでは
必ずしも一致した見解が出ているとは
言えないみたいなんだ
観測者と対象の間の
どこに境界線を引くか
ってところがあやふやなんだよね
現在のところ
観測者と対象の間の境界については
フォン・ノイマンさんの
どこにその境界を置いてもいいって
考えが主流みたいだけど。