量子論

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確率解釈

少し前まで(今でもかな?)

量子力学と言えば

この確率解釈で説明されていたような

気がするんだよね

ここまでぼくが書いている

量子論の考え方も

この確率解釈に従っているもの

確率解釈というより

コペンハーゲン解釈といったほうが

通るかもしれないけど

名前の通りデンマークの

コペンハーゲンにある

ボーアさんが量子論の研究のために

創設したボーア研究所から

発信された理論だね

あくまで量子力学というか

波動関数に対する

一つの解釈でしかないけど

なんといっても量子論の総本山

ボーア研究所が出した解釈だから

そうとう忖度される部分はあるんじゃないかな

モノをどんどん細かくしていったら

どうなるのか?

モノを砕いていくのだから

モノの本質となる粒子とは

なんだろうか?

その研究の果てに行き着いた 

『なにか』が

どうやらぼくたちの知っている

粒子とは性質が違うのかもしれない

ってことになっちゃったわけだ

これまで書いてきた

粒子性と波動性を併せ持つ

極小のなにかを表すために

作られた言葉が『量子』

モノを細かく細かく砕いていった

モノを構成する最小単位の粒子が

ぼくたちの知っているモノと

違う性質を持っているっていうのは

おかしな話でしょ

だから それを粒子としちゃうと

モノ自体がおかしな性質を

持っているってことになっちゃうじゃない

だけど理論的に考えて

(実験的にじゃないと思うけど)

併せ持ちの『なにか』を考えに入れないと

合理的じゃないってことになったんだね

その考え方を入れると

『なにか』の振る舞いが

計算上(波動方程式だね)

成り立つんだから仕方がなかったのかもしれない

そして出来上がった『量子』

だけど その実体って

どこまでわかっているんだろう

物理学

もう一度書いておこうと思うんだ

物理学とは人間が認識しうる

自然現象を研究する学問だってね

自然現象ってことは

個々の現象を一つずつ

解明していくことじゃないように

思えるんだよね

歴史でもそうだけど

登場人物の個々の名前とか

きっちりした年代とかを

確定していくことより

全体の流れとその結果を

解明するのが学問だって

ぼくは勝手に思い込んでいるんだ

もともと これ以上の発展は

無いと思われていた

ニュートン以来の古典力学

実験・観測そして研究の結果

19世紀に入ってから

その前提とされる

仮定に『?』が幾つか

見つかるようになってきたそうだ

物理学の結論は

常に「今のところ」正しいとされる

仮定の積み重ね

だから 絶対の事実だとは

科学者たちは思っていないんだから

『?』が見つかることには

それほど問題は無いんだよね

『?』が見つかれば

それまでの見解を修正するか

根底から変えちまうかすれば

いいだけのはなしなんだから

ただ ニュートン以来の古典力学は

あまりにも完成され過ぎていたんだ

たしかに 年々観測機器が発達したり

新たな発見が出てくると

どうしても『あれっ?』ってことが

出てくるのは当然なんだけど

それを既存の力学の中に

組み込んでいくという

作業のほうに

皆が苦労したみたいなんだ。

力学(古典力学)は

物理学なんだけど

基本因果関係を大前提として

発達してきたもの

因果関係を中心に据えると

どうしても ものごとを

連続した物として

捉える必要が出てくるよね

力学は因果関係を前提

ようするにアナログで考えているのに

物理学得意の実験・観測なんかは

デジタルデータでの

解析になっちゃう

そうするとやはり

実験や物理量なんかに

修正がいるってことになって来そうだよね

古典力学にも修正を求められた

課題っていうのが出てきちゃった

その課題って言うのは大きく分けて二つ

「時間と空間の性質」

「実験および物理量の認識の仕方」

なんだそうだよ

新しい考え方へ

近代物理学の基礎として

あたらしく出て来た概念が

ふたつある

一つは「時間と空間の性質」に

切り込んだ『相対性理論』

そしてもう一つが

「実験および物理量の認識の仕方」に

切り込んだ『量子論』

このふたつが現在のところ

物理学の最先端ってところじゃないかな

ただ物理学としては

問題が無いわけじゃないんだ

相対論のほうは

出発点が『光の速度』という

実験観測によって

裏付けられた仮説によって

成り立っているからまだしも

量子論には前提とされる

仮説が無いんだよね

たしかに実験観測によって

得られたデータを照合すると

量子論仮説に合致するってことは

わかっているんだけど

物理学の本来の目的

『一般法則』を答えることの出来る

人っていないんじゃないかな

だから量子論はどんどん

物理学から化学の領域に

近づいているような気がするんだよ

量子論の出発はきっと

モノの最小構成要素はなんだろう? 

って研究だったと思うんだ

そうしたら見つかったものが

どうも波動性と粒子性を

併せ持っているとしないと

つじつまが合わなくなってきちゃったんだね

でも 実際のところ

そんなわけのわからないものを

人間が認識できるのか?

という問題は出てきちゃう

量子論では状態ってものが

重ね合わせ

いろいろな状態が

同時に存在しているって

解釈することになるよね

人が観測してはじめて

一点に確定するってことになっているわけだ

観測するまでは

あくまでも期待値に従って

「ぼや~」っと

煙みたいに存在しているってことだね

想像しやすいところで

原子を考えてみようよ

初期の原子模型は

原子核の周りを

電子がくるくる回っている

って感じだったじゃない

太陽の周りを惑星たちが

回っているみたいにね

でも 量子論じゃそうじゃないんだよね

原子っていうのは

原子核の

(これも実態かどうかはさておいて)

まわりを電子の雲が

包んでいるって

感じのものってことなんだ

まるで台風みたいだね

台風の中心から半径何キロなんて

天気予報で言うけど

じっさいのところは

低気圧の影響を受けている範囲が台風で

壁があるわけじゃないも

でも これじゃ古典力学との

整合性が保たれない

だから 最小構成要素を

『粒子』ってものじゃなく

『量子』なんて命名したんだろうね

量子

量子力学の『量子』っていうのは

モノの分類とは

関係ないものとして

扱っているそうなんだ

たしかに 粒子の本質に

単純に「数えられる」っていう

定義があるから

量子を粒子としても

問題は無いんだろうけど

あまりにもぼくたちの感覚の

『モノ』の概念から

かけ離れちゃっているから

あえて『量子』としたのは

苦肉の策かもしれない

それ以降に研究されている

『素粒子』なんて

量子以上にぼくの感覚から

外れちゃっているけど

ちゃんと『粒子』って

付いているんだから

古典物理との整合性を求めるために

初期は『量子』としたんじゃないかな

なんといっても

エネルギティークvsアトミスティークの

時代につくられた言葉だもの

このモノの分類に入らない

量子ってものは観測対象になるのか?

これが難しいところ

あるものは観測されているみたいだし

あるものはその影響から

確認されているようなんだけど

あくまでも想像の範囲でしかない

仮想粒子(量子?)も

あるみたいなんだ

仮想粒子なんてものが

物理学の世界に持ち込まれることが

正しいことなのかどうか

これは物理学者たちに

聞いてもらわないとわからないけど

現在の物理学は

どうやら数学をその根底に据えている

理論っていうのが

多くなっているような気がして

ならないっていうのは

ぼくの考えすぎかな

数学っていうのは

あくまで言語の一種だと思うんだ

伝達様式の言語の中では

その正確性はずば抜けているけどさ

あくまで言葉なんじゃないのかな

そして言葉は紡ぎようによっては

どんな表現も可能なんだよね

言語が先行すると

もはや物理学から

哲学の分野に移行しちゃうような気が

するんだけどね

じっさい確率解釈に対しては

多くの学者たちが

首をかしげるってことに

なっていたみたいだね

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