プランク
そろそろもと来た道に
戻ろうかな
量子は粒子性と波動性を
併せ持つなんて
訳の分からない結論を
量子論が出してくるから
どんどん脱線しちゃった
ひとまずそんなもんだってことにしておかないと
はなしが進まないんだから
納得はしないけど
わかったふりをしておこう
まあ、ここまで寄り道をしたんだから
最後にもう一つだけ寄り道をしておこうかな
『量子論の父』と呼ばれる人に
プランクさんがいるって
書いたことがあると思うんだ
父がプランクさんで
育ての親がボーアさんっていうのが
初期量子論の誕生過程ってことだね
では 母はだれなんだろう?
と 思ったけど
はっきりとは書いてないもんだね
このお父さんと育ての親
よくあることだけど
けっして同じ考えかただったんじゃない
ボーアさんは量子力学の巣立ちを
愛おしく見守っていたみたいだけど
プランクさんは
なんとか量子力学が
これまでの物理学と仲良くするように
心を痛めていたみたいなんだ
もともとプランクさんは
古典物理学の系統の
信奉者だったみたい
だから 初期のころは
エネルゲティークvsアトミスティーク論争では
エネルゲティーク(オストヴァルトさん)の
説を支持していたんだね
でも 自身が発見しちゃった
黒体放射の実験からの
『量子仮説』は
エネルギーの不連続性を
表してしまったんだ
もうひとつ オストヴァルトさんの説が
だんだん哲学的になって行った
というのも決別の理由
かもしれないと言われている
だから後期は
原子論の擁護に回っていたんそうだ
だけど ボルツマンさんは
物質の不連続性という
原子論からさらに発展させて
エネルギーや時間まで
不連続説を唱えるようになってきたんだね
プランクさんは
これらの不連続性を認めつつも
なんとか古典物理の
連続性を持つ世界との
接点を模索し続けたとも
言われているんだ
古典物理学との決別
連続性と不連続性の問題が
なぜそんなに大事になっちゃうのか
もともとこの二つの考え方は
大昔からあったじゃないのかって
不思議な気がするけど
じつは古典力学というか
20世紀初頭までの科学は
連続性というのが
大前提にあって発展していっているそうだ
量子力学以前というか
古典力学や相対性理論も
連続性を基礎において構築されているんだね
連続性というとわかりにくいかもしれないけど
『因果』と言ったら
わかりやすいかもしれない
物理学というのは
「人間が認識しうる自然現象を研究する学問」
だって何度も書いているよね
物理学だけじゃない
自然科学全体が
この「認識できる」って部分を
重要視しているんだ
数学や哲学のように
論理的に正しければ
『是』とする学問じゃない
実験・観測による
裏付けが必要になるんだよ
もっともその時代で
観測装置の精度なんかで
実験・観測がしきれないって
こともあるけど
思考実験や外部事項の観測なんかで
ひとまず証拠集めをするよね
そして 何より
発見された事象は
「今のところは正しいとされる」という
あくまでも暫定的な
仮説扱いをされるんだ
だけど この実験・観測
ひとつの大前提があるんだよね
それは 自然現象が原因と結果で
成り立っているという大前提
量子力学は
その前提を覆しちゃった
原因も結果も
統計上だったり確率的だったりで
決まっちゃうとなれば
実験・観測に意味がなくなっちゃうじゃない
因果律を否定する思想も
もちろんあるよ
決定論とか目的論なんて言うのは
哲学の世界じゃ
それほど主流じゃないもんね
でも自然科学はそうはいかない
因果が確定する世界と
確定しない世界とがわかれちゃうことになる
物理学としては因果の確定する世界だけが
世界として存在して
確定しない世界は
無いものと扱うってことになるのかもしれないんだ
それでも人類は
認識を因果律の確定しない世界にまで
その腕を伸ばしちゃったんだよね
さて どうするんだろう
ラプラスの悪魔
18世紀にいたラプラスさん
数学者で物理学者で天文学者
(もっともこの時代ほとんどの学者が
多方面の研究をしていたけどね)
そのラプラスさんは
ある瞬間にすべての物質の
状態と運動をを知ることができて
なおかつ その情報を
解析できるだけの『知性』が
あるとすれば
その知性には未来のことも
すべてわかるだろうって
提唱したんだね
当時はやっていた
『決定論』の発展形なんだけど
現時点での出来事(原因だね)
に基づいて
未来(結果)もまた
確定しちゃうんだよってこと
『因果的決定論』とも
言えるような主張だね
馬鹿げて聞こえるかもしれないけど
これが物理学(特に古典物理学)の
目指している方向なんだ
世界に存在する
すべての物質の
位置と運動量がわかれば
その物の時間発展は計算できるはず
だから 未来というのは
完全に知ることができるはずだって
考えかただね
この架空の存在を
ラプラスさんは
たんに『知性』って呼んでいたんだけど
後年 デュボア=レーモンさんっていう人が
『ラプラスの霊』と名付けちゃった
そのことばが広く伝わっていくにしたがって
『ラプラスの悪魔』っていうのが
定着しちゃったってところらしい
物理学は物事の本質を導く
法則を見つけ出すことを
その命題にしているんだと思うんだ
研究すればするほど
複雑になっていく世界を
シンプルな構図に落とし込む
素敵な学問だと思うよ
でもそこに統計や確率が入っちゃうと
シンプルであることが
許されなくなっちゃうんだな
世界(宇宙でもいいかも)の成り立ちが
連続なのか不連続なのか
この論争ははるか昔から
続いているし
時代時代で振り子のように
揺れ動いている命題だけど
量子論以前までは
不連続な流れのなかにも
連続があるってことを
前提に物事が考えられていたはずなんだ
(波の運動なんてその例かもね)
でも 粒子性と波動性を
併せ持つとしちゃうと
連続性が途切れてしまうんだよね
本来 原子論は不連続性
エネルギー論は連続性の
代表格だったよね
そして 原子論から発展していった量子論は
実体という不連続性を持つものを
むりやり連続性に落とし込もうと
したようにみえる
古典物理学の世界観を
実体ってものは
個々の事物概念じゃなくて
関係概念なんだという
なんとも抽象的な結論で
連続性のものを
こんどは不連続性に落とし込むという
道筋を表わそうとしたように
思えるね
ただ 初期の量子論では
連続性があまりにも押し出され過ぎて
本来のモノってものの
姿形が実体を焼失しちゃったって
ところがあるのかもしれないけど
現在主流になっている
『場』の理論は
(素粒子論の発展形かな)
この喪失した実体という不連続なものを
量子論という連続性の概念とを
接続するための
『関係概念』として
出て来たのかもしれない
なんといっても
まだ初期量子論のところまでしか
書いていないんだけど
この辺りから
初期量子論の持つ理論としての
不完全さをどんどん
補強しようと研究が進んでいくんだね
でも 理論としての量子論は
未だ未完成かもしれないけど
実務としては
量子論はけっこう
利用されるようになっているんだよ