不確定性原理
量子論の不確定性原理を
書いていくつもりだったんだけど
やはり横道にそれちゃったね
気になることが出来ちゃうと
すぐに迷子になっちゃう
子供みたいな性格をしているぼくだから
大目に見てやってください
もっとも不確定性原理って
ちゃんと勉強しようとすると
それこそ一生かかっても
極められないもんだと思うけど
知ったかぶりでよければ
単純な原理なんだ
運動量の中の質量を
この際無視して
動き(速度)だけを考えるとするよ
ある瞬間に止まっている物は
(位置の確定しているものだね)
次の瞬間にどう動くかって
予測ができないじゃない
そしてランダムに激しく動いている物が
ある瞬間にどこにいるのかって
確定できないって
ぼくたち普通の世界でも
起こり得ることじゃないかな
もっとも ぼくたちの世界だと
物の動きを連続したものと
捉えることができるから
物の位置とその前後の関係さえわかれば
ラプラスの悪魔じゃないけど
ある程度はわかっちゃうってところはあるけどね
量子論でよく言われるんだけど
たとえば電子だと
その位置は確率でしか
求められないっていうのがあるんだ。
初期の頃には
原子核の周りを電子が
太陽の周りをまわる
惑星みたいに思われていたんだね
でも 今では実際は雲のようなぼや~っとした
存在だって例えられる
それでも観測した瞬間に
その位置は確定するってことに
なっているんだ
これって当たり前と言えば
当たり前のはなし
観測するってことは
位置か運動量を確定するってことなんだから
運動量さえ考えなければ
位置は確定できるよね
高速で動いてぼやけてしか見えないもの物を
写真撮影すれば
(シャッター速度を早くすればだけど)
正体が見えるってことと
同じじゃないかな
もっとも 光速で移動するものを
カメラで撮影するのは
むずかしいだろうけど
やはり量子論にも
時間方向のベクトルが
いるのかもしれないね
粒子と量子
不確定性原理の
時間方向へのベクトルの問題以前に
どうしてもぼくの頭の中では
粒子っていうものが
なにかの粒々ってイメージが
消えないんだよね
なにかの粒々って
それこそ言語の曖昧さそのものなんだけど
砂粒みたいなものの
細かく細かくなったようなものって
感じ方かな
(余計わかりにくいかもしれないな)
でも相対論もそうだったけど
量子論だと余計に
粒子=粒ってことじゃないような
気がしてくるんだよ
物理学用語だと
量子のことを粒子という
物質の構成単位を指す場合が
あるんだからなおさらだね
これも言語の不正確さ
特に和訳の不正確さを考えて
元(この場合は英語かな)の
言語で考えてみよう
粒子はparticle
量子はquantum
意味はどちらも小さな粒とか
微量なんてことになっているけど
どうやらparticleのほうは
小さなかけらというか
小さいものって感じなんだよね
一方quantumのほうは
少量という『量』の少なさを
表すみたいなんだ
量子論の始まりでもあるけど
古代ギリシャ時代から
もの(存在)には
最小の構成要素があるって考えは
あったんだよね
『atom』って言葉は
はるか昔から存在していたってこと
(デモクリトスが言ったとか
それ以前からあったとか諸説あるけど)
atomは原子とか微小分子なんて訳されている
だからatomとparticleは物を
細分化した存在って感じじゃないかな
分子のように元の形質を残した状態での
細分化がatom
原子のように元の性質がなくなるまで
細分化したものがparticleって
イメージでいいかもしれないね
ではquantumってなんだろう
量子力学は英語だとquantum mechanics
これは完全に直訳だね
quantumの感覚が
量を表すものであって
粒を表すものじゃないって
ところから考えると
思い浮かぶのは
粒子は固体で
量子は液体って感じじゃない?
感覚でだけど
波動と粒子性を併せ持つものって
液体のようなものだと言われると
納得しそうになるんだけどな
前にも書いたけど
光なんかが実体であり現象であるって
このあきらかにおかしい事象を
同じものに持たそうとすると
新しい単語が必要だった
ってことじゃないかな
でも それじゃイメージが掴みにくいから
『アトム』や『粒子』じゃなくて
『量子』ってことにしたのかもしれないね
量子力学
量子力学が 光なんかの
波動と思われていたものに
デジタルの考えかたを
持ち込んで
古典物理法則の根底の
アナログの連続した世界から
一個二個と数えることのできる
デジタルで表そうとしたっていうのは
わかるような気がするね
物理学は人間の認識の及ぶものを
解明する学問ってよく書くけど
この『人間』っていうのが曲者
人間は個人のことなのか
人類のことなのかって問題が出てくるんだよ
答えは当然『人類』ってことになるんだけど
人類がその知識を分け与えるには
そこに コミュニケーションツールが
必要になってくるわけだ
人間っていうのは
哲学で議論されていることを
そのまま使うと
個の人間の認識能力は
アナログで構成されているらしい
但し外部観測器官(目でも耳でもいいけどさ)が
情報を入力できるのは
デジタル情報でしかないってことだ
感性・悟性・知性だったり
それ以外の名称で呼ばれたりするけど
デジタル情報を
(一個二個と数えることのできる情報)
外部観測器官が捉えて
それを神経が脳に送る
当然その伝達手段はデジタルになるよね
そして 脳がそのデジタル情報を基に
過去に蓄積されたデータと照らし合わせて
アナログ情報にしちゃうってことらしい
もっともこの考え方に
問題もあるんだ
人間の思考もしくは認識っていうのが
脳の解析によるものなのか
その奥にまだ
(例えば魂みたいな)
なにかがあるのかってところが
解明はされていないけどね
物理学の知識・理論を
他者と認識を共有させるためには
情報をデジタル化しないと
正確には伝わらないってことになる
力学が古典力学から量子力学へ移行するのは
より精密を求めるのには
必要不可欠だったってことなのかも
しれないんだよ
ところが 物理学者たちは
歩みを止めようとはしない
デジタル化という仮説が立ったところで
それの考察が進んでいく
一つは反証
「その仮説って本当に正しいの?」って
疑い続けているんだな
もう一つは進捗
「その仮説が正しいのならこうなっていくはずだ」って
仮説の上にどんどん塔を築いていくってやつ
演繹と帰納の繰り返しってことかな
本来なら考察には
実験・観測が必要になってくるんだけど
あまりに理論が進みすぎると
観測装置の能力不足が起こってしまう
ではどうするか
思考実験やら数学に
頼らざる負えなくなっちゃうんだよな
物理学の理論は
あくまで『今のところ』正しいでしかない
さて いつになったら
結果が出るんだろうね
素粒子
また話がそれちゃったけど
量子力学は連続系を不連続系で
表すところからはじまったわけだ
一番わかりやすいのは
波だと思われていた光の
粒子性の発見だと思うね
波は状態
状態は連続しているじゃない
それがどうやら一個二個と数えることが
出来る粒子でもあるらしいよってところで
量子論は進んでいったんじゃないかな
でも 物理学者は仮説ができると
考察を繰り返す生き物
そして出て来たのが
ド・ブロイさんの物質波
デジタルの代表格のはずの
粒子にも波動性があるよって
言い出した
どの書き込みにも書いていないけど
これって物理学者たちは
慌てたんじゃないだろうか
簡単に今じゃ
粒子と波動の両方の性質を
併せ持つなんて書いてあるけど
これって思い切りおかしい話なんだよ
極端に言えば
アナログとデジタルが混在している
みたいなものだからね
(この二つは混在できないんだよな)
だから学者たちは
言語として新しい言葉を
導入せざるを得なかったんだと思うんだ
量子って言葉を使ったのは
1900年のプランクさんだろうね
プランクさんの量子仮説は
quantum hypothesis
このquantumはラテン語
particuleは小さい部分を指す英語
物の最小単位を指す言葉なら
particuleでよかったんだと思うけど
この時点で波動と粒子の
考えられないような関係に
気づいていたんだと思うよ
状態と実体を併せ持つ
これが じつはモノの本質
なのかもしれないけど
そうなるとそこから派生して
種々の仮説が立てられる
これまでもたまに出て来たけど
素粒子なんてものはその最たるものだね
(なぜelementary quantumじゃないんだろう?)
訳の分からない併せ持ちのせいで
何でもありになっている
質量が無かったり
物理的観測が不可能だったり
反粒子から虚粒子まで
けっこう無茶苦茶な素粒子の
可能性も言及されているみたいだもんね
まだあるよ
仮説の上に構築される仮説なんだから
負粒子なんていう
時間を反転させた存在まで
予想されているんだからね
素粒子にも興味がわかないことは無いんだけど
たぶん泥沼にはまりそうだから
いったんはこの辺りで
切り上げておこう
やっと不確定性原理が終わって
シュレティンガーさんに……
はなしを持っていける
って 思っているんだからね