ハイゼンベルグ

雑学を収集しようじゃないか雑学
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ハイゼンベルクの思考実験

電子を観測するためには

どうしたらよいか

ガンマ線を電子に当てて

極力分解能の高い

(レンズの直径の大きい)

観測機で観測すればいいってことで

ハイゼンベルグさんは

頭の中で実験をしてみた

電子ってどんな形をしているんだろう?

理科なんかの図で

球体で描かれているから

なんとなくボールみたいなもんだと思っているけど

実体は?

すでに 判明しているのかどうかは

知らないけど

安定している形態とか

運動の仕方を考えると

球形に近い

と考えたほうが

つじつまが合いそうなんだ

だから ひとまず電子が

球体だってことにしておこう

その球体にガンマ線を当てて

跳ね返った光を大きいレンズで

捉えて観測するってことだよね

球体に光が当たると

その反射の方向は当たり方次第で

方向が変わっちゃう

そのバラバラの方向に飛んでいく

光をレンズで受け止めるわけだ

では その跳ね返ったガンマ線は

レンズのどこを通っているんだろう?

上の隅かもしれないし

右の隅かもしれない

もちろん ど真ん中を

通っている光も

あるとは思うけど

けっきょく

どんなに頑張っても

測定するためには

誤差が出来ちゃうってことなんだよね

もしも 少しでも

測定誤差を少なくしようと

するならば

ガンマ線より 

もっともっと波長の小さい

電磁波を使って

レンズの直径を

限りなく小さくしても

分解能が落ちない

レンズを使うしかない

ってことなんだ

(今のところは)

これは 観測機器の

能力不足って面もあるし

なにより人間が観測するという

物理学(人間が認識できるものを解釈する)の

弱点でもあるから

仕方がないかもしれないんだけどね

だから 電子の位置を

完全に観測で確定させることは

出来ないってことに

なるんだよ

もうひとつ

ガンマ線には運動量がある

(電磁波には運動量があるんだ)

電子にガンマ線が当たって

跳ね返る ってことは

とうぜん ガンマ線が

電子を蹴っ飛ばしているのと

同じことになっちゃうんだよ

そして電子は球体

ガンマ線が蹴る方向は

どの方向になるのか

わからないってことだね

これはあきらかに 観測者効果に

近いことが起きてるってこと

運動量(光の波長が短く)が

大きくなるほど

観測装置の分解能を

高くするほど

電子の位置が不確定になっちゃうんだ

ハイゼンベルクの結論

ハイゼンベルクさんの思考実験

というと 身構えちゃうけど

数字がずらずら並ぶ

数式の証明に比べれば

まだついて行けるような

気がするのは

ぼくだけかな

ぼくにはやはり 代数より

幾何学のほうが

感覚的について行けるのかもしれない

もっとも わかったつもりになっていても

まるで見当違いの

解釈をしているかもしれないのが

困ったところなんだけどね

さて ここまでは古典物理学の

観測者効果の問題

観測器や観測手段によって

観測結果に誤差が出るってことは

十分想定できる

ことだったんだ

問題は量子が

あまりにも小さくて軽い

っていうあたりまえの事情

古典物理学では

考慮に入れる必要のなかった

運動量が問題に

なっちゃうんだよ

電子の位置をはっきりと示すためには

波長の短い電磁波がいるけど

そうなると運動量が大きくなるから

電子を強い力で蹴っ飛ばしてしまう

電子をできるだけ動かないようにしようとすると

波長の長い電磁波を使うことになるけど

そうなると電子の位置が

ぼやけてしまうってことなんだ

量子力学では

この位置のわからなさを(Δx)

運動量のわからなさを(Δp)

としている

そうすると このわからなさの関係が

Δx×Δp=hってことが

証明されちゃった

この式を見たって

なんのことだか

わからないけど

(ぼくだけかもしれないけど)

位置の不正確さ×運動量の不正確さ が

プランク定数になるって

漠然と考えればいいかも

問題になっている

運動量ってなんだろうって

深く考えるとむずかしくなるけど

この場合は

単純に速度と方向ってことで

そう間違っていない

って考えていいと思うんだ

プランク定数は

本格的に量子力学の

専門家になるつもりがないなら

単純に定数だって思っておけば

いいんじゃないかな

前に書いたと思うけど

光子の(光の もしくは電磁波の)

エネルギーは

電磁波の振動数に比例するんだけど

その比例定数ってことだね

極端に言えばh=0だとすると

古典力学が成立するってことなんだ

これがどういう意味を持つのか

というより 量子論というものが

どういったものなのかが

このΔx・Δp=h 

で表せられるってことなんだけど

理解できるのかと言われれば

素直に『うん』とは言えないな

極端な例を書いておくね

電子の位置を

正確に知ろうとするってことは

Δx=0ってことだね

その運動量は

Δp=∞ になる

可能性があるって思わない?

電子の運動量を正確に知ろうとすると

Δp=0ってことでしょ

そうなるとその位置は

Δx=∞ ってことになっちゃう

(かもしれない)

勘違いがよく起きるんだけど

Δっていうのは

わからなさ(不正確さ)って

いうことなんだよ

Δが0ってことは

確定しているってことなんだ

ではΔが∞ってことは?

Δp=∞だと運動量が

Δxだと位置が

わからなくなっちゃう

ってことになるんじゃないかな

不確定性原理

けっきょく不確定性原理って

なにが言いたいのか? 

そう 思わないかな

電子の位置を正確に測ろうとすると

運動量はなくなっちゃうし

(わからなくなっちゃう)

運動量を正確に知ろうと思うと

位置がなくなっちゃう

(わからなくなっちゃう)

しかも これは観測者効果

(実験の精度でもいいね)

だけの問題じゃなくて

物質が本質的に持っているから

どうしようもないことだって

ことなんだろうけど

整理してみようか

まずはプランクさんが

エネルギーっていうのは 

不連続(デジタル)だって

言ったんだよね

続いてボーアさんが電子の軌道は

不連続だって言ったわけだ

ここで学会の趨勢は

世界はデジタルで

構成されているんじゃないか って

なっていったんだよ

ところが ド・ブロイさんが

あらゆる物質が

波の性質を持っている

かもしれないって

言い出した

これのどこが変なのか?

言葉の使い方かもしれないけど

デジタル(不連続)は粒々の集合という

イメージが無いかな

そして波はアナログ(連続)のイメージが

そうなると

『もの』っいうのは

粒(粒子)なのか

波(波動)なのかっていう

光について議論されていたことが

世の中の『物質』ってものにも

波及しちゃったってことなんだよ

不確定原理っていうのは

Δx・Δp=h だったよね

Δxは位置の不確定の幅

Δpは運動量(速度でもいいと思うよ)の不確定の幅を

表しているってこと

hはもちろんプランク定数

ここでΔxを

限りなく0に近づけてみると

するとΔp=h/Δx

という式ができる

これは位置ははっきりしたけど

どう動いているかは

まるでわからないって

ことだよね

次にΔpを限りなく0に近づけてみよう

こんどはΔx=h/Δp

という式ができるね

これだと 対象が

どんな動きをしているかは

(速度と方向だね)

はっきりするけど

どこにいるのかはまるでわからない

ってことになっちゃうんだ

言い換えれば

運動量を気にしなければ

位置っていうのは確定できる

位置を気にしなければ

運動量は確定できるってこと

この位置が確定できるってことは

ものが粒子だってことになるよね

運動量だけが確定できるとなれば

ものを波動として考えたときの

波長を決めることになっちゃう

不確定性原理っていうのは

位置か 運動量か

どちらを正確に

測ろうとするかによって

モノの捉え方が

変わっちゃうよ

ってことなんじゃないのかな

モノっていうのは

粒子なのか波動なのか

さて どう考えたらいいんだろう

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