脱線のし過ぎ
量子力学の『不確定性原理』を
書くために必要かもしれないと
ちょっとだけ
寄り道してみようとした『相対論』
けっこう横道にそれちゃったよね
量子力学の研究者からは
古典物理と呼ばれている相対論だけど
それだけに数学音痴のぼくには
わかりやすい部分が
あったのかもしれない
(10分の1もわかってないんだろうけど)
それと量子論の非人間性に比べると
相対論のように宇宙をテーマにしたもののほうが
人間としてのイメージがわきやすいのかも
しれないってことがあるんだとおもうんだ
だからついつい
長居をしちゃった
ってとこなんだろうね
量子論ではぼくたちの
認識している世界を
『マクロの世界』
量子の世界を
『ミクロの世界』って分け方をしていたんだ
量子力学っていうのは
『マクロの世界』の古典力学に代表される
物理法則を崩さないようにして
(もしくは包括して)
ものごとの根源を
導き出そうって学問
言い換えれば
ミクロの世界の根本原理の
特殊解がぼくたちのいる
マクロの世界の
物理学(古典物理学かな)だよってことだね
そしてもうひとつ
世界の分け方で『マクロ』『ミクロ』を
使う学問があるんだ
マクロコスモスとミクロコスモス
大宇宙と小宇宙っていう
対概念なんだけど
人間をミクロコスモスとして
大宇宙をマクロコスモスとする考え方
この考え方も量子論と同じで
ぼくたちのいる(認識している?)世界は
大宇宙の摂理の写し絵
よく言えば人間の中には
大宇宙の本性が写しこまれているってことかな
もしくは大宇宙が一つの人格で
ぼくたち人間はその模倣に過ぎないっていう
考えかたもあるみたいだけど
マクロコスモスを示すのが相対論
ぼくたちのいる宇宙は
その特殊解 ってことかもしれないね
寄り道からの帰還
やっと『不確定性原理』に
戻っていけそうな気がするんだ
ただ、量子論自体が
年々進んでいっている
なんといっても
電子・陽子なんてものが
はっきりとわかってきたのは
1900年頃だもんね
たかが100年ぐらいしかたっていないんだよ
(相対論だって100年ぐらいなんだけど)
ここで問題発生
素人がわからないことを
理解しようとして書き出したこの文章
根本のところがわかっていなくて
手探りで歩いていくと
当然のように迷子になるよね
だからもう一度
ここで整理しておこうと思うんだ
スタートは「ぼくって何?」
なんだと思うよ
あくまでも『ぼく』であって
人間とはとか生き物とはとか
人類とはなんて高尚な考えじゃないんだ
他人(他の生き物、物もそうかな)のことなんか
どうでもいいってことだね
でも『ぼく』ってものを考えていくと
どうしても人間とはとか
宇宙とはとかってところに
彷徨いこんでしまう
だから今現状わかっている(と、されている)
ところから
人とは? っていう
哲学に入って
宇宙(もの、世界)ってなに? ってところから
量子論に入っていったんだね
そして量子論の『不確定性原理』に
いるのかもしれないって言われて
相対論に足を踏み込んじゃったってことだ
だから『不確定性原理』に戻るからといって
「おかえりなさい」じゃないんだ
いまだに迷子のままなんだからさ
どんどん暗闇の中
無知って怖いよね
一つの単語でも
わからないから先に進めない
先に進めないから
調べるってことになっちゃうんだ
そして調べた先にまたわからない
単語だったり言葉が並んでいる
これってきりがないね
一つのことを理解しようとすると
10個くらいのわからないことが出てくるんだから
困ったもんだ
量子論の不確定性原理を
書こうとする手前までは
なんとなくぼんやりと
(正確じゃないけどね)わかりかけてた
ような気がしてたんだけどな
じつは全然わかっていないってことが
ぼんやり見えてきちゃったんだから
科学っておそろしいもんだね
でもね 言い訳を一つしてもいいかな
どうやら科学を生業にしている人でも
じつはよくわかっていないって人が
結構いるんじゃないかって
疑っているんだ
ぼくが興味があるのは
どちらかといえば『物理学』
これって哲学と一緒で
ものごとの本質というか
根本原理を導き出そうって
学問なんだろうって
ぼくは思っている
「人間が認識しうる自然現象を説明する学問」
ってことはそういうことだよね
ただ哲学なんかと違うのは
その根源に実証実験・観測結果が
あるってことなんじゃないのかな
ところが量子論にしたって
相対論にしたって
理論はどんどん先に行ってしまっているのに
いまの観測装置じゃ
観測しきれないって
困ったことになっている
これってもしからしたら
ギリシャ時代の哲学の時代に
戻っているのかもしれないんだよ