無茶を承知で
一般相対性理論を理解する
もしくは論理的に他人に説明するためには
リーマン幾何学がいる。
そしてリーマン幾何学を
理解するには
テンソル解析という微分幾何学は必要って
壮大なことになってしまったね。
だけどぼくは物理学で身を立てようなんて
大それた野望を持っているわけじゃない。
(もし持ったとしても無理だけど)
なんとなくわかったように思えれば
それでいいんだから
枠組みだけでも掴めればいいってことにしよう。
だからこれから書いていくことは
学問的にはすこしはずれちゃうかもしれないけど
一般相対性理論をイメージで
掴んでいこうってことなんだよね。
とにかく一般相対性理論は
二つの原理から成り立っているってことは
間違いなさそう。
第一原理として『等価原理』
『重力』と『慣性力』は区別できないって原理だね。
第二原理として『一般相対性原理』
物理法則はいかなる系においても成り立つという原理。
第一の原理は
前に書いているボールさんのことを
考えてもらえばなんとなくでも
納得できるんじゃないかな。
第二の原理は特殊相対性理論のときの
「いかなる慣性系でも物理現象は同じである」という
あまりに当たり前すぎるけど
それを証明するのが難しい原理の
拡張版ってことでいいと思うんだ。
「いかなる慣性系でも物理現象は同じである」ってことを
「いかなる運動をする物体にも適用できる物理法則が存在する」
って 言い換えたことなんだと思うよ。
特殊相対性理論はその基礎となった
二つの原理から何を導き出したんだろう?
たしかに相対速度のある系と系の間では
時間や長さが変わるってことや
質量はエネルギーだってことは出て来たけど
いちばん肝心なものは
「この宇宙に絶対静止系は存在しない」
ってものじゃなかったんだろうか。
存在しないのか
われわれには観測できないのかは別にしてだけどね。
では、一般相対性理論は
なにを導き出そうとしているんだろう?
二つの方程式
『等価原理』と『一般相対性原理』から
二つの方程式が導き出されたってことは書いたよね。
ぼく自身内容がわかっていないから
適度に流して書いた
二つの方程式をもう一度書いてみよう。
数式の部分は見ないふりをしていても
問題は無いと思うけどね。
d2xμ/ds2=−(Γαβμ)(dxα/ds)(dxβ/ds)
『重力場の方程式』(質量が空間を曲げる量に関する方程式)
Rμν−1/2gμνR=(8πG/c4)(Tμν)
いったん『重力場の方程式』を後回しにして
『測地線の方程式』っていうのは
何を計算してこのややこしい数式が出て来たのか
考えてみよう。
「宇宙時空間の最短距離の方程式」って
説明が載っているけど
それはなんだろう?
付帯して
「あらゆる物体は力が他から働かなければ
時空の最短距離を移動する」
ってことも書いてある。
最短距離ってそんなもの
決まっているじゃないかって思うよね。
一直線に線を伸ばせば
それが最短距離だって。
でもちょっと待って
アインシュタインさんは
物理学を幾何学で捉えようとしていたって
言われているんだ。
特殊相対性理論の時は
ユークリッド幾何学を
(平面幾何学だよ)
つかって四元時空間を表した。
極端な言い方をすれば
じぶんの町内の地図なら
平面の上で書いても
それほど誤差は起きないのと
同じだったってことだね。
それが山あり谷あり
地球みたいに地面が全体的に
曲がっているものを
平面の上に地図を書いちゃえば
そうとうな誤差っていうのが
出てくるのは当然だよね。
いっぱんに本なんかに書いてある世界地図は
『メルカトル画法』で書かれているから
前にも書いた航空機の航路が
変に曲がって書かれているように
見えるんだよな。
三次元空間
特殊相対性理論は
一般相対性理論の
特殊な事例という見方ができるのかもしれない。
そうお互いの比較が
相対速度のみって条件。
それぞれの系がお互いの速度は違っていても
等速運動をしているというのが
条件だったんだ。
でもそれが加速系であろうが
重力系であろうが
外部から力が加わっている場合は
もうすこし複雑になってくる。
町内の地図と世界地図くらいの
差ができるのかもしれない。
平面幾何学(ユークリッド幾何学)で
表すことのできる町内地図と
地球儀でないと表せない
世界地図って感じ。
だからリーマン幾何学の登場
ってことになっちゃったんだ。
人間の感覚の捉えることのできる
幾何学表記は
じつは二次元まででしかないんだよね。
人間の五感っていうのは
視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚って
いわれているけど
じっさいはすべて触覚でしかないんだよ。
で、触覚っていうのは
二次元表記でしかないんだよね。
たとえば視覚。
人間の目は二つある場合が多い。
でも、網膜に写るのは平面像でしかない。
よく目がふたつあるのは
三次元を認識するためって
言われるけど
ようは二か所の平面図を
多重に重ねていくことで
物体の奥行を脳の中で再構築しているだけってこと。
だからぼくたちが
リーマン幾何学を感覚的に掴めなくっても
当たり前ってことにしておこう。
像を重ね合わせようにも
一枚一枚の図面が整合してなくちゃ
理解できないってことだよ。
だから結論だけ
人間は感覚でつかめなくても
計算することはできる。
そしてその計算から導き出された
物理法則が実験・観測の結果
『是』とされれば
その実験・観測の答えが
否定されるまでは正しいとされるのが
物理学の世界。
だからアインシュタインさんが導出した
『重力場の方程式』『測地線の方程式』を
いったんそのまま受け止めてみよう。
ここまで書いてふと疑問はでなかっただろうか?
どんな理論でも
土台となるものがなければ
理論を積み上げていくことができないんだよ。
で、相対論の土台になったのは
『光』だったはず。
『光』ってものが
いついかなるところから観測しても
同じ速度だよってところから
特殊相対性理論は始まったんだよね。
その『光』が一般相対性理論に入ったとたん
出てこなくなっちゃったって
不思議じゃない?
でもアインシュタインさんの出発点は
やはり『光』だったんだよ。
『重力場の方程式』『測地線の方程式』に
『光』をあてはめてみると
ひとつの解が出てくるんだ。
これは結論だけひとまず書いておこう
「光は、この宇宙をかならず最短・最速で走る」
これが結論なんだよな。
最短ってことについては
測地線の方程式で
どんな物体も他から力が加わらなければ
最短距離を走るってことになっているから
そうなんだって思っておいてあげよう。
問題はこの「最速で走る」ってところ。
特殊相対性理論でも光は
最速の存在として君臨していたよね。
なおかつ光速は不変だって
決まっていた。
でも一般相対性理論では
アインシュタインさんは
「光速は不変」だとは言っていないんだよ。
アインシュタインさんが
一般相対性理論で導き出した解は
「光はこの宇宙の最短コースを
他の物質に対して最速で走る」
ということなんだそうだ。
これってとんでもないことなのかも
しれないんだよ。
たしかに光は屈折や反射で
曲がるってことはあるよね。
でもこの理論が正しければ
光は非慣性系の影響を受けて
曲がるってことになるんだ。
「光は時空の曲がりに沿ってしか走れない」
ってことなんだけど
これってどういうことなんだろう?