特殊相対性理論の入り口

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特殊相対性理論

光速度はいかなる慣性系から測定しても同じである。

(光速度不変の原理)

いかなる慣性系でも物理現象は同じである。

(特殊相対性原理)

この二つだけが相対論(特殊相対性理論)の

骨組みだってことは

前に書いたと思うんだ。

軽く聞き流すと

「それがどうした」って

思えるぐらい当たり前に聞こえるんだけど

まじめに考えると頭の中に

『?』『?』『?』が飛び回ることになるんだよな。

まずどの慣性系でも

物理現象は同じであるって

どうして根本原理として

認められるんだろう?

ぼくたちの知っている電車の中とか車の中

地球上とかロケットの中だと

そうかもしれないけど

『すべて』っていうのは

どうなんだろうね。

光の速さは

どの慣性系から観測しても

同じ速さであるっていうのも

『今』のところっていう条件と

『観測の及ぶ範囲』って条件が付いていると思わない?

それともなにか裏付けが

あるんだろうか。

その疑問には

ぼくの調べた限りだと

納得できる回答はみつからなかったんだよね。

もっともぼくが納得できないなんて

単純に知識不足の可能性が高いから

無視しておいてもいいのかもしれないけどさ。

だからここはぼくのことは無視して

ひとまずここまでの特殊相対性理論の

入り口っていうものをまとめてみようかな。

まとめのようなはなし

光速を測定する実験は

大昔(なんといってもガリレイさんも挑戦していたんだからね)

から行われてきたんだよね。

もちろん現在でも続いているけどさ。

光は波だって考えが主流だった時に

問題とされたのが光の波は

なにを媒体にして伝わるのか? 

ってところ。

なんといっても宇宙の真空中も

光は伝わってくるんだからね。

だから光という波が伝わる媒体として

『エーテル』ってものが仮定されたんだったよね。

ところがこの『エーテル』の存在を証明するための実験で

思うような観測結果が出なかった。

その観測結果を矛盾なく説明するために

出て来たのが『ローレンツ変換』 

ってものだったわけだ。

もともとこのローレンツ変換は

エーテル理論を擁護するために

出て来たものだったんだけど

エーテル理論が否定されだしてからも

その相対速度を持つ『系』どおしの

時空間の対応係数として

生き残っちゃったってことだね。

そしてアインシュタインさんが

ローレンツ変換からの帰結として

時間の進み方が観測者によって

違ってくることを提唱したわけだ。

もしくは相対速度差のある『系』の

時間の進み方の違いを

ローレンツ変換を使って

説明したってことかな。

アインシュタインさん

(現時点で)実験によって得られた

光ってどこでどのように測定しても

同じ値しか出てこないっていうことと

時間の進み方が慣性系によって違う

可能性があるってことから

光速度不変の原理(光速はどこから見ても同じだよ)

特殊相対性原理(どこでも物理現象は同じだよ)

という二つの原理を仮定したってことだね。

本来ならここで理論としての特殊相対性原理は

完結することになるんだけど

科学者っていうのは知りたがる。

この二つの原理から

導き出されるものはどういったものか? っていうのが

次の実験・観測の対象になって行ったって

ことじゃなんだと思うよ。

アインシュタインさんの考え方は

物理現象を幾何学で捉えるってこと。

特にその功績でいちばん大きいのが

時間と物理距離(空間)を同列に見なすことによって

時空間のありようを幾何学的に

表したってことなんだと思うね。

あらゆる物体は時間方向へ光速で走っている

って凄い発想だと思わない?

どの慣性系からでも光速が一定に観測されるなら

時間は慣性系の間では伸び縮みしている。

時間が伸び縮みするのなら

4次元ピタゴラス定理から

空間もそれに協力して伸び縮みする。

宇宙ってものはそんなもんだってことが

アインシュタインさんの結論なのかもしれないね。

時間を空間の実距離と

同じ土俵に上げるには

時間を距離として表す必要が出てくるよね。

そこでミンコフスキーさんは

時間っていうものを(ct)っていう

距離の単位で表して

時間とは4番目の見えない方向への

移動距離だってことにしたわけだ。

そしてその移動距離の中に出てくる

光速度(c)を一定にするために

時間と空間が協力して『不変量』を

つくっているのが

この宇宙だよってことにしたってことなんだろうね。

S2=(ct)2−(x2+y2+z2) っていうのは

宇宙を表す数式かもしれないよ。

勝手なオチ

ひとまずここまでの

特殊相対性理論の考え方が

正しいってことにしてみよう。

(でないとその先に進めないもんね)

これから先の実験・観測の結果

いつの日にかこの理論が

間違っているってことになるかもしれないけど

そのときはそのときで

また考えるってことにすればいいんだから。

(現在のところ特殊相対性理論を

覆すような研究結果はでていないみたいだけどね)

これまで縦・横・高さの三つの距離で

構成されている3次元空間を前提として

構築されてきた物理学

(特に力学だろうね)に

時間ももう一つの距離として加えることで

3次元空間から

4次元時空間への発想の転換は

凄いとしか言いようが無いかもしれないね。

ただ基本として

古典力学を代表とする

物理学という概念から

逸脱せずに理論展開がされているんだ。

そりゃ『量子論』だって

古典力学に反しないように

理論建てをしているけど

根本のところが少し違っている。

『因果律』と『決定論』を

大事にしていたのが古典力学。

そしてアインシュタインさんも

ある意味『因果律』と『決定論』を

ベースに据えていたっていうのが

量子論との違いじゃないのかな。

この立ち位置は正しいとは思うんだけど

だからこそ相対論は量子力学と違って

古典力学に分類されるなんてことが

言われることがあるんだよね。

あの有名な量子力学の

ボーアさんとの論争の中で

言ったとされる

「神はサイコロを振らない」

っていうのがアインシュタインさんの

立ち位置だったんだと思うよ。

「物理学とは人間が認識しうる自然現象を研究する学問である」

って何度も書いたけどさ

これが物理学のすごいところと

もしかすると弱点ってことになるのかもしれない。

だから僕の頭の中に『?』が

飛び回るようになるのかもしれないんだよ。

『人間が認識しうる』ってことは

人間の能力の及ぶところの

ってことだから

『因果律』の縛りの中で

理論構成をしなけりゃならなかったんだろうし

『自然現象』の中に

光速を超えるものという項目が

無いっていうのもわかるよね。

せっかく時間を距離として

空間距離と同列のところまで持ち込んだのに

時間距離のマイナス部分は

確定事項としてしまったとか。

『因果律』を必ず守るために

4元ピタゴラス定理にはマイナス記号を入れてみたり

時間を距離のひとつとしながら

進行方向を単一に設定したりって

無理やりまとめたって感じが

否めないんだけど。

ぼくたちの認識できる時空間っていうのは

空間上ではプラス方向

時間上では現在以前という偏ったものしかないんだけど

宇宙(世の中のほうがいいかな)には

それ以外の広大な領域が

残っているような気がするんだけどな。

もっともその辺りは

物理学じゃなくて

数学と哲学に任せたほうがいいのかもしれないね。

さてどうしよう。

もう少し特殊相対性理論に

踏み入るほうがいいのかな。

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