いろいろ書いたけど
ここまで相対論の発想について
書いてみた。
ある意味これで終わりだし
ある意味始まってもいないという
なんともあいまいなところなんだよな。
これまで書いてきたことは
自分に対して相対速度を持ったものは
時間と空間の認識が
相手の認識とじぶんの認識とで
違ってくるってことだけなんだ。
相対速度や時空間
認識なんてかたっ苦しい言葉が
出てくるのは
正確を期するためなんだけど
わかりにくいかもしれない。
相対速度なんて言わなくても
感覚だけでいうなら
自分が止まっているって考えれば
わかりやすいかも。
たとえばぼくがここにいて
棒と時計を持っているとしようよ。
同じ長さの棒と精度の同じ時計を
持った人がぼくの前を走っていく。
その時にぼくが走っていく人の
棒の長さを計ったら
ぼくの持っている棒より
短くなっているし
走っている人の時計は
ぼくの時計より
遅れているってこと。
でも実際見比べても
変わっているようには
見えないよね。
なぜか? って
その差があまりにも小さいからって
ことなんだ。
ローレンツ因子をもう一度思い出して
1/√1-v2/c2
このvは目の前を走っている人で考えたら
オリンピック選手並みの人で
秒速10m
かたやcって光の速度だから
秒速3億m
だからv2/c2は(10m)2/(3億m)2
これって計算してもらってもいいけど
ほぼ0に近いよね。
本来は違うけど
これを0だと仮定したら
ローレンツ因子は
1/√1-0=1 ってことになっちゃうでしょう。
量子力学や相対論みたいな
極小や極大のものを扱うと
この誤差が大きく作用しちゃうけど
普通に生活する分には
とてもじゃないけど
ぼくたちの感覚では気が付くなんてできない
差でしかないからね。
イメージできなくってもあたりまえっていうか
気が付く人のほうが
異常だって思うよ。
だからその差なんて気にしないでもいいと思うんだ。
(ぼくにたいしての慰めなんだけど)
疑い深いのは悪い癖だね
昔から「言われた通り信じなさい!」って
言われたら
ひとまず反発してきたのが
ぼくの性分。
だから素直な人なら
特殊相対性理論の2つの原則
『特殊相対性原理』
が「時間の遅れ」「長さの縮み」
を引き起こす。
だけでいいんじゃないかな。
1:ぼくが見るあなたの時間と
あなたが見ている時間とは違うんだよ。
2:ぼくが見るあなたの持っている棒の長さと
あなたが見ている棒の長さとは違うんだよ。
3:そしてその1と2は
一緒に起きているんだよ。
って素直に思えたり
イメージできるんなら
十分だと思うんだ。
ぼくはなんとなくでもいいから
じぶんが納得できないと
信じられないから
理屈を知りたいって
思っちゃうんだね。
(いちばん詐欺に騙されやすいタイプらしいけど)
だからもう少しだけ
突っ込んでみようと思うんだ。
でもいつも言っているように
典型的文系。
数字が出てくると
頭が痛くなってくるんだけどな。
下準備
アインシュタインさんの
最大の発想の転換っていうのは
この世界を
縦・横・高さっていう
3次元の空間だけじゃなくて
時間ってものも取り込んだ
4次元の時空間だってしたことなんじゃないかな。
時間ってものを空間の長さや量と
対等に扱おうとしたって凄い発想だと思うよ。
そしてもうひとつ
なによりもすごいって思うのは
物理現象を
幾何学で表現しようとしたことだと思うんだ。
もちろん幾何学ってものは
太古の昔からあるもんだけど
極大の宇宙の構造を
一枚の絵にかくように
考えていったっていうのは
もう天才としか言いようがないよね。
もともと幾何学っていうのは
古代ギリシャあたりから発達した学問だけど
人間の図形的直感による認識を
理論だてて表記する
ようはいかに他人に理解させるかっていう
コミュニケーション手段として
発展していったもの。
もちろん数学の一分野とはされているけど
一般数学が言語的コミュニケーションだとすると
幾何学はジェスチャーによる
コミュニケーションに近いかもしれない。
だからアインシュタインさんの相対論は
初めに図形的理論があって
後付けで言語としての数学を
あてはめているように思うんだ。
だから『特殊相対性理論』は
『光速度不変の原理』
『特殊相対性原理』
の二つだけで十分。
理屈を知りたければ
後付けの数学を知らなけりゃならないってことだね。
そしてぼくは数学音痴。
困ったもんだ。
とにかくそれのどこが
『相対論』に関係するんだ? って
思うかもしれないけど
一つずつ書いていってみよう。