ちょっと脱線
さあ、困った。
シュレティンガーさんとハイゼンベルグさんのところまで
書いては見たものの
読み直してみるとどうにもまとまりがない。
じぶんがちゃんとわかっていないものを
他人に伝えるってことが
どれだけ無謀なことかって
よくわかるよね。
勉強する一番良い方法は
ひとに教えることだって言われるけど
まったくそのとおり。
だからこそこんな風に
ブログに書こうなんて
無謀なことをしているんだから
ぼくとしては正解なんだけどね。
だいたいの構想は見えていたつもりだったんだ。
落としどころっていうのか
持っていきたい方向っていうのはね。
哲学も量子力学も
学問としての追求なんて考えてないんだから。
哲学の時もそうだったけど
ぼくはなんとなくベースらしい部分さえ見えれば
あきちゃうんだ。
量子力学だって
追求すればするほど
奥深くなるのはわかってはいるつもりだけど
実用部分にはほとんど興味がわかない。
これって社会生活には向いてないのは重々承知だけどね。
脱線しちゃうけど
もともと社会不適合者の端っこにいるんだから
なんとかここまで
問題を起こさずに社会の片隅に
生きることを許されていたことを
感謝したほうがいいんだと思っている。
こんなぼくでも社会から許されているって
この国は素晴らしい国なんじゃないかなってね。
もっとも地方都市で
飲み屋のおやじなんてものをしているのが
社会から許されているとしたらだけど。
またまた脱線 Ⅱ
ぐちぐちと意味の無いことを書いているけど
ちょっとしたごまかし
言い訳ってことで
ごめんなさい。
さっき量子力学で書こうとしている
だいたいの構想はあったって書いたけど
構想は構想で
じっさいに書いていくと
とんでもないことに気づいちゃったんだ。
これ(量子力学)を触るためには
相対性理論がいるんじゃない? って。
ハイゼンベルグさんの
行列力学に続いて
『不確定性原理』を書いて
シュレティンガーさんの
『シュレティンガーの猫』へと
それから量子力学の解釈
コペンハーゲン解釈とか多世界解釈
その他いろいろに触れて
ぼくたちが今持っている世界観っていうのが
ひょっとしたら実際とずれているんじゃない?
ってところで次のテーマにいこうとしていたんだけどな。
どうやら、今持っている知識じゃ
間違った解釈になりそうなんだ。
(もっともこれまでが間違っていなかったって保証はないけど)
そこで相対性理論。
ニュートンさんとマクスウェルさんは
すごい人たちだと思うけど
量子力学なんかの現代物理ってものに触ろうと思うのなら
足場として相対性理論の概念だけでも
知っておかなくっちゃダメみたいなんだよ。
そして脱線
どうやら問題は
量子ってものがぼくたち(少なくともぼく)の感覚では
あたまの中に思い描けないってことなんだろうね。
けっして古典物理の世界に精通しているわけじゃないけど
古典物理の分野はなんとなく
体感できそうな気がするじゃない。
それに比べて量子力学ってものは
どうにもイメージできない部分があるんだ。
量子は粒々でなおかつ波である
なんて言われたら
イメージできるのは粒々が波に沿って
サーフィンしているようにしか思えないんだもの。
どうやら量子力学ってものを考えるには
じぶんを中心とする
三次元の感覚だけじゃ
ついていけないみたい。
多次元、少なくとも四次元の見方が要るみたいなんだけど
そんな感覚なんてあいにく持ち合わせちゃいないんだから
困ったもんだ。
そこで相対性理論
特に『四次元物理量』ってのが
ある程度わからなくっちゃいけないみたいなんだよな。
相対性理論ってだれもが聞いたことがあるし
なんとなくわかっているつもりではいたんだけど
いざ書いてみようと思うと
とてもじゃないけど
そう簡単に書きだせるような相手じゃないみたいなんだ。
たしかにぼくの能力不足っていうのが
いちばんの問題なんだけど
これを考えた人っい言うのは
少々おかしいんじゃないかって
思えるくらい変なんだよ。
だからなんとかぼくのなかで
不完全ながら納得がいくまで
量子力学からしばらく脱線。
といいながらいつもどってこれることやら
自信は無いけどなぁ……