Covid-19

独り言
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オルテガ

雑学で書いている哲学の中に入れる予定だったんだけどな。

ここ最近世間を騒がしている例の『Covid-19』さん

その情報を見ているとオルテガさんを思い出しちゃった。

だから、順番としてはニーチェさんからアメリカのプラグマティズム

その延長のヨーロッパの言語学・現象学の後あたりで

休憩で入れるつもりだったオルテガさんを

すこしだけ独り言に書いてみよう。

もともと独り言にはぼくの愚痴を書く予定だったから

オルテガさんの『大衆の反逆』の部分は少しだけになるけど

お許しください。

大衆ってのはなんだろう?

オルテガさん流の定義に従えば

「個性のない、群衆化した人々」ってなるんだけど

これは少し説明が要るよね。

国(地域)の人口ってのは人の口と書くぐらい

その地域で何人の人間が食べられるのかってことが基準になっちゃうんだ。

19世紀から20世紀の入り口あたりまでのほぼ百年で

ヨーロッパの人口は爆発的に増えた。

だいたい一億八千万人から四億六千万人に増えたって言われているね。

理由は簡単、この時期経済が飛躍的に発展した。

マルクスさんも言っていたけれど

経済=国力、とうぜん養える人口も増えるから当然だね。

ただ、この経済の発展

工場労働力の増加とその増えた人数に対するサービス需要

ようするに今と仕組みは同じ

都心部に人口が集中しちゃうってことによって

おこるんだ。

効率化された労働力の一単位としてみなされる人間の増加。

収入源として都市にしがみつく必要があればあるほど

個人としての居場所がなくなっていくんだよね。

個性を亡くした多くの人々

周りを見渡して同じようにしようとする人間

この集まりが大衆って呼ばれるってこと。

この大衆と呼ばれる集団。

個性っていうのか人間としての尊厳ってやつが埋もれちゃっている。

個々の人物にはあるんだろうけど

大衆という集団になっちゃうと

欲求のみが前に出て、権利だけの主張が増え

義務があることなんか忘れちゃうってことになる。

そうオルテガさんは結論付けるんだ。

でも個人がそれぞれの主張を掲げるのと違って

個人ではなく集団が同じような方向を持って流れていくってのは

すごい力がある。

いつのまにかなにも個性のない大衆と呼ばれる集団が

世の中の中核として存在しちゃったってことなんだよな。

オルテガさんがこの『大衆による反逆』を発表した時代

イタリアではムッソリーニ政権

ドイツではナチスの台頭

スペインでは政治内戦

いわく、ファシズムが前面に出だした時期。

ファシズムってなんか単独の独裁者がそれこそ大衆を動かしている

なんて思えるけど

じっさい大衆と呼ばれる濁流を個人がどうこうしようなんて無理な話。

大衆の欲求・権利をうまく誘導して

流れの方向を少しずつ変化させるって方法でコントロールしていく。

もちろん一度方向を決めちゃうとあとは楽なもんだけどね。

この流れってなんか最近の日本でも起きてるような気がするんだよ。

まだ大丈夫だとは思うんだけど

20年ぐらい前の飲酒運転からはじまって

パワハラ・セクハラ・痴漢冤罪

不倫にたばこってね。

どれも良くないことだとは思うけど

なにかひとつスケープゴートを見つけると

とことん叩くって風潮が出てないかな。

だって、不倫と殺人が同列に語られるのってなんか違和感があるんだけど。

まだ大丈夫なんじゃないかって思えるのは

今情報が二方向から入ってくるからなんだよ。

同じマスコミュニケーションではあるけれど

新聞・雑誌・テレビなんかのマスコミと

SNSを中心としたマスコミュニケーション。

特にネット上に散乱している情報はなかなか統制がきかないだけ

受け手の資質が問われる問題はあるけど

ある種の抑止力にはなってくれると思える。

それでもどこから情報を入れるにしても

個人の資質が試されることにはなるんだろうけどね。

Covid-19

さてここからはぼくの愚痴。

一応本業はバーの経営者なんだよね。

ひとりでこそこそさせてもらっている

本人は『峠の茶屋』っていっているぐらい

たまにふらっと人が来てそのままふらっと帰っていく

それこそ止まり木的な店をやっているんだけど

なんといっても『バー』って分類されるもんだから営業停止状態。

もうひとつ困ったことに住宅地にあるんだけど

『特定警戒都道府県』に入ってるんだよね。

こりゃ、なかなか営業再開はむずかしい。

2020年はどちらにしても景気は相当落ち込む予測をしていたから

ランニングコストをとことん去年のうちに押さえ込んでいたから

なんとか廃業の心配はしばらくいらないだろうけど

精神的にはまいっているかもしれないね。

本人あまり自覚は無いんだけど

なんとなく怒りっぽくなっているように思うし

尾籠な話で申し訳ないけど少々便秘気味かも。

まあぼくの店のはなしはどうでもいいよね。

もっともっと大変な思いをしている人は山ほどいるだろうし

個々の人それぞれに事情ってものがあるだろうから

じぶんが一番苦しんでいるんだなんて

口が裂けても言えるもんじゃないんだ。

でもね、死にかけの病の中で苦しんでいる人には同情はするけど

その痛みは分かち合えないんだよな。

そのくせ、じぶんの小指の先の傷でも泣きたくなるぐらい痛いんだから

困ったもんだ。

ただね、暇だから情報だけは入ってくる。

そして思うんだけどネットの書き込みにしても

マスコミ(テレビなんかのことだよ)の報道にしても

なんとなくオルテガさんの言う大衆扇動を目指しているような気がして

しかたがないんだよな。

マスコミさんは商売だからね

どのスポンサーの方向を見るかってのと

視聴率という数字(この数字次第で広告単価が変わるんだ)のために

ある種の偏向報道をしているのはわかるけど

ネットの一部の書き込みはあきらかに『大衆の反逆』状態じゃないかな?

『自粛警察』なんて正義の味方気どりも出てきているし。

政治家さんは政治家さんで

あきらかに『有事』の資質と『平時』の資質の違いが出てきてるよね。

日本の場合、これまでは『平時』の資質が必要とされていたんだ。

そのなかにたまに『有事』よりのひとが問題を起こしていたんだけど

今は『有事』の資質が必要とされている。

でもその資質がいるのは今だけ

だから今本気で対応してくれている政治家さんは

たぶんこの騒ぎが収まれば非難されるんだと思うよ。

できれば今の流れをぼくたちはじっくり見定めておきたいものだね。

もうひとつ

できればネットでもマスコミでも

気になった情報はなんとか保存しておいたほうが良いんじゃないかな。

大量の情報の中に埋もれていて見つけ出せないのかもしれないけど

なにげに読み飛ばしていた情報が消えているんだ。

日本では言論統制なんてないと信じたいんだけどね。

もしぼくの検索能力の不足だったらいいんだけど

一月ごろにこのコロナウィルスのRNAの配列についての

医療従事者に向けての報告ってのがあったと思うんだけど・・・

ほんとうに愚痴を書き出すと支離滅裂

どうにもまとまりのない文章になっちゃったな。

なんとかまとめるためにも

もう一度オルテガさんに戻ることにしよう。

オルテガさん、大衆化の危険を防ぐために

自由主義(リベラリズム)が必要だって言っている。

自由主義ってのは好き勝手やろうよってことだと勘違いする人が多いけど

実際は自分の自由を尊重するってことは他人の自由も尊重することだってことなんだよって。

多数派が少数派を排除するんじゃなくて

その少数派の意見も注意深く聞くことが美しい形だそうだ。

「異なる他者への寛容」「敵とともに共存する決意」

これが自由主義(リベラリズム)の本質だって。

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