質量とエネルギー
中学校・高校の物理を思い出して書いてみたけど
ここからはぼくの勝手な独断(妄想?)
物の重さ(質量)ってなんだろう?
人間で言えば太っている人と痩せている人とで
その体重差っていうのはあるよね
ボクシングなんかの試合でも
体重差によって階級が分けられる
ヘビー級のパンチをミニマム級の選手が受けたら
大変なことになるもの
だから質量の多い物体の方が
エネルギーが大きい って
なんとなく 当たり前のような気がするんだ
では その重さの違いはどこから来るのか?
密度とか容量だとかいろいろな考え方があるけど
一つの物体を 一つの系という捉え方をすると
系の中にどれくらいの原子があるか
そういうことじゃないのかな
今のところ素粒子とかその辺りは無視しておいて
一つの系の中の陽子・中性子
重さとしてはあまりにも軽いから
無視していいのかもしれないけど
電子の量が幾つあるのかが
質量を決めているのかもしれない
だとすると陽子・中性子・電子etcの中に
もともとエネルギーってものが含まれている
そういうことなのかな
前に軽く触れていたけど
現在知られている『力』は4つということになっている
電磁気力・重力・強い力・弱い力
これらはまだ解明されていない部分が多いと思うけど
質量=物体 ってことになると
物体の構成要素 原子自体がエネルギーで構成されている
そう考えればつじつまが合うような
気もするんだけどね
物体はエネルギーの形態の一つ?
エネルギーって形を持つの?
また アナログとデジタルの問題に
当たってしまったのかもしれない
とにかく特殊相対性理論の振り返りは
ここでいったん終了ってことで
いずれまた 振り返りの振り返りで
考えることになるんだろうけど
今回は E=mc2 にたどり着いただけで
良かったってことにしておこう
一般相対性理論へ行く前に
過去の書き込みを読み返してみると
特殊相対性理論を四苦八苦しながら書いた勢いで
そのまま一般相対性理論へ
なだれ込もうとしていたね
今でもそうだけど 書いている途中は
なんとなくだけど理解できたつもりになっているんだ
ところが 読み返してみると
どうにも理解しているとは言えないところが多いよね
困ったもんだ
その時 その時で 疑問に感じたり
自分なりの納得感を書いておかないと
読み返すときに その時どう感じていたのかが
わからないみたい
だから 一通り書くたびに
自分なりの感想を書いておくべきだね
なんといっても ブログにしているのは
自分が飽きないためで
だれかに読んでもらいたい なんかじゃなく
じぶんの中で考えをまとめたい っていうのが
主なんだから
力の定義のところでアリストテレスさんを
引き合いに出したと思うんだ
『力』とはなにか?
「破壊されることもなく 形態が様々に変換する根源的な何か」
そういう哲学らしいあやふやな定義だけど
古代ギリシャから理論付けはされている
アリストテレスさんの言葉を借りると
物体には『可能態』『習得態』『現実態』が
あると仮定している
可能態というのは
デュナミスとかポテンシアとか呼ばれているけど
まだ運動や変化を生じていないけど
運動や変化の可能性のある状態をいうそうだ
極端に言えばその辺りに転がっている
銃みたいなものかな
習得態はヘクシスとかハビタスとか呼ばれている
運動や変化を起こせるものを
ただ持っているだけか
使っているかの違いを表した状態だね
銃で言えばいつでも発射できる状態で
トリガーに指が掛かっているけど
まだ引き金を引いていない
そんな状態かな
最後は現実態 エネルゲイアとかアクタスだね
これは当然のことに 力が行使されている状態
銃で言えば引き金が引かれて
弾が飛び出した状態ってことみたい
ヘクシス(習得態)はなんといっても哲学の概念
人間がどこまで関与しているかの考え方だから
物理学ではひとまず無視しておこう
可能態はラテン語のポテンシアからわかるように
モノのポテンシャルのことだね
習得態のギリシャ語はエネルゲイア
これなんかあきらかにエネルギーって感じ
ラテン語だとアクタス
英語風に解釈すればアクト 行動ってこと
実験・観測の必然性のない哲学だと
わりと単純な図式になるね
となると 『力』というのは
潜在的にモノが持っている力
『エネルギー』というのは
実際に使われた力 って考えでいいのかも
エネルギーって言葉に惑わせられずに
単純に力と言ったほうが
ぼくにはわかりやすいみたいだね
(学術の世界では問題なのかもしれないけど)
等価性
E=mc2で質量とエネルギーの等価性が
認められたってことになっているよね
そう聞くとわかったような気になるけど
等価性ってなんだろう
イメージだと同じ価値とか同じものの形違い
そんな気がするんだけど
そんな単純な考え方でいいのかな?
エネルギーが発言した前後では
質量が変わる というのは
実験で確かめられているらしい
広島・長崎の原爆のエネルギー発現は
1円玉一個分くらいの質量の欠損によって起こったという
研究もなされているみたいだし
だとすると質量とエネルギーは
互換性があるということなんだろうか
極端な話だけど エネルギーが集まるところには
質量が生まれるってこと?
陽だまりにはなにかモノが出来るんだろうか?
焚火の傍には物体が現れるとか
もっとも 冗談に聞こえるかもしれないけど
もしかしたらそんな現象があるのかもしれないね
陽だまりや焚火のエネルギーが小さすぎて
ぼくたちの見つけるほど大きなモノが
出来ないだけかも
もっと極端なことを言うと
質量0でエネルギーだけがある
そんな存在があるのだろうか?
質量の定義として慣性の大きさっていうのがあるね
物体の持つ慣性や重力に関係するってことかな
(ニュートン力学では)
現在だと光にも重さがある なんてことが
言われだしているけど
もともと光(電磁波)には質量が無い
そういうことになってなっていたんだ
だから 電磁気学は力学とは切り離されていたんだね
光は質量0だから慣性質量や重力質量が無い
だから真空中を等速で進むことができる
そのことが特殊相対性理論の光速度不変の原理の
始まりだったんじゃないかな
ところが質量とエネルギーの等価性ってことが
導き出されてしまった
しかも最近の研究じゃ光子にも重さがある
そういう意見も出ている(一部かもしれないけど)
素粒子なんかでも 便宜上質量0として
考えられているものもあるそうなんだよね
(この辺りはまだちゃんと調べてないけど)
もし光に質量があるとするならば
光速度不変の原理ってどうなるんだろう?
もし光に質量が無いとするのならば
エネルギーと物体というのは
切り離して考えるべきなんだろうか?
エネルギーは様々な形をとることができるので
質量という実態を持たなくても存在できる なんて
書いてあったりするけど
存在と質量との関係はどういったものなんだろうか
その意見を認めると存在も質量も
ただのエネルギーの一形態
そんな風にも思えちゃうんだけどな
また頭の中がごちゃごちゃになってきた