自由電子
基本的には
自由電子がうろついているところでは
電気が通りやすいってことらしい
そりゃ 電圧が高くなったりすると
カミナリみたいに
自由電子がほとんどうろついていないところでも
電子は流れるけどね
電気は電子が動くことで
流れるってことなんだ
だから マイナス方向からプラス方向へ流れる
ってことになるんだけど
教科書を見ると電気はプラスからマイナスへ
流れるって書いてある
いまいち納得できないところがあるんだけど
どうも昔の慣習を
そのままひきずっているって
だけなんだそうだよ
マイナス電荷の電子が流れる ってことは
見方を変えればブラス電荷の陽イオン原子が
逆向きに流れているように見えるから
それでいいんだろうけどね
正電荷の流れる方向が電流の方向であるって
定義した後に
電子が負電荷であることが分かっちゃったらしいんだ
だから 電流の方向と電子の流れる方向が
逆になっちゃったってことだね
極端に言えば
プラスからマイナスに流れるとされている
『電流』なんてものは
電池の電解液等の中ではあるかもしれないけど
電線の中ではありえないらしいよ
電子の流れの逆方向に
電流が流れているように見えるだけ
ってことにしておこう
まあ そんなことは些細な事
信号機の色が青か緑かって騒いでも
仕方が無いみたいなもんじゃないかな
ひとまず 電気っていうのは
自由電子が流れるってことにしておこう
そうなると電子の速度ってどれくらい?
って疑問がわかないかな
ぼくのイメージだと
電気の速度っていうのは
光速に近いように思ってたんだ
電源を入れたら間髪を入れずに電気は流れるってね
でも そうなると問題が出てくるよね
例の特殊相対性理論の問題が
電子には質量があるっていうのは
どうやら確認されているみたいなんだ
もちろん光速に近くなれば
質量は膨大になってくるんだろうけど
止まっている状態だと
(もしくは光速に対して微々たる速度の場合)
約9.1×10−31〔kg〕の質量があるってことらしい
この質量 『静止質量』って言うそうだけど
もしも電子が
光速の約87%くらいまでの速度で動けば
電子の質量は『静止質量』の
約2倍になっちゃうそうなんだ
電気と電子は
同じものだってことだったよね
もしも 電気が光の速さと
同じくらいに速かったとしたら
電子の質量ってどうなっちゃうんだろう?
電子の速度
学者さんたちって凄いよね
ぼくが疑問に思うことぐらい
とっくの昔に解決しちゃっているんだから
しかも ちゃんとしたデータまで
出してくるんだから脱帽するしかないよ
電気が流れている時(電流ってやつだね)に
電子はどれぐらいのスピードで
流れているのか?
ぼくたちの身近な感覚で考えると
発電所でつくられた電気が
ぼくたちの家に到達するまでの
速度ってことになるよね
この時の電子の移動速度自体は
(実験・観測の結果)
どうやら光速の1/200程度ってことが
わかっているみたい
この数字が早いのか遅いのかは置いておいて
送電線中の自由電子は
とにかくあちらこちらへ寄り道しながら
うごいているらしいんだ
だから平均移動速度を導き出すと
なんと0.075mm/s
と いうことは1分で4.5mm
時速にしたら27cmくらいなんだって
電子の移動速度は光速には遠く及ばない
それどころか人の歩行速度にも及ばない
ってことが観測されているんだね
少なくとも 電子の質量が
膨大なものにはならないってことは
安心してもいいってことかな
送電線って 強さと軽さなんかを考慮した結果
伝導率としてはそこまで優秀じゃない
アルミニウムを使っているから
遅いんじゃないのか?
そういう疑問も出ると思うけど
もっと伝導率の良い銅で測ってみても
時速としては36cm/hにしかならないみたいなんだ
意外と電子の動きって遅いもんなんだね
でも おかしくないかな
この速度だと
電源スイッチを入れてから電気が付くまでに
どれぐらいの時間がかかるんだろう?
乾電池に導線を繋いで
豆電球が点くまでのの時間を考えてみよう
今 36cmの銅の導線で
乾電池と豆電球を繋いだとしようよ
電子の速度が36cm/hなんだから
乾電池に導線を接触させたら
一時間後に豆電球が輝きだす
なんてことはないよね
厳密に言えば少しはタイムラグはあるかもしれないけど
ほぼ瞬時に豆電球は点くような気がしないかな
電流の速度
電気と電子が同じような意味を持つ
そこのところは認めようよ
ぼくたちが電気と名付けている現象の正体が
電子だってことだね
だから 電子が電気が働いているように見える現象の
立役者だってこと
たとえば さっき書いた
乾電池を繋ぐと豆電球が光るという現象は
豆電球のフィラメントに電子がエネルギーを
伝えちゃうってことなんだ
イメージ(ぼくの勝手な)だと
電子の流れ(電流)って
水の流れみたいに考えちゃうよね
だから 電子が時速36cmの速度でしか
移動しないってことになっちゃうと
納得できない気がするんだよ
どうやら根本的に
勘違いを起こしちゃってるのかもしれない
こそこそ その辺りのことを調べていくと
ひとつの情報に出会っちゃった
いわく
「電池の所にあった電子が
抵抗の所まで行って仕事をしなくても
電気抵抗の所にあった電子が電圧変化を感じ
仕事を請け負ってくれる」 って
この書き込みが正解なのかどうかは
ぼくの知識では判断できないけど
すごく納得できたから
ひとまず指針として書いてみよう
1:電子は電圧がかかっていようがなかろうが
凄い速さでで走り回っている
考えてみれば
原子核の周りを電子は回っているわけだから
(単純に言えばだけど)
原子核と電子のクーロン力に対抗して回るためには
相当のスピードがいるのは当たり前だよね
量子力学で
電子は粒子か波動かなんて
ややこしくなっちゃったけど
単純に考えれば
そう思ってもいいんじゃないかな
その電子の持っているスピードが
前に書いた光速の1/200(約1600km/h)ってこと
(あくまでも銅という金属内での話だけど)
この速度 フェルミ速度って言うらしいんだけど
あくまでも電子の能力としての速度のことを言っているんだよね
豆電球の場合だと
フィラメントという抵抗に対しての
エネルギーを考えるときに必要なだけであって
じっさいの電流の速度とは無関係だそうだ
時速36cmの速度でしか移動しないという
電子の速度だね
これは電子の平均速度
(流動速度)
ってことで じっさいに一つの電子が
その速さでその方向に動いている
ってことじゃないらしいんだ
もともとこの流動速度は
(平均速度のことだね)
電流の値 単位時間に運ばれる電荷量を
(クーロン/秒 アンペアのこと)
便宜的に速度の単位で表したものなんだって
前も書いたけど
電子ってものは気まぐれに動くそうなんだ
だから みな一斉に同じ方に動くんじゃなくて
電圧のかかる方向に動く電子と
逆らって動く電子の数の割合(変化)だという
見方の方がいいらしい
だから この平均速度には
速度としての意味合いは
ほとんどないってこと だそうだよ
電気の伝わる速さ
では いったい電流の速度って
実際にどのくらいなんだろう?
一度まとめてみよう
乾電池と豆電球を銅線で繋ぐという
簡単な構造で考えてみようよ
銅線は銅の金属の塊
ということは
プラスイオンの銅原子と
自由電子として浮遊している電子が
一体となって銅線が
出来上がっているってことだね
銅原子は29個の陽子と29個の電子で
(中性子はこの際無視しよう 35個らしいけど)
構成されていることになっている
その電子の中の2個が漂い出て
銅イオン(プラス)と自由電子に分かれちゃうわけだ
漂い出た自由電子は
本来自分がいるべき原子に拘束されるんじゃなくて
銅全体の銅イオンに拘束されている って感じかな
電気って言うのは
入り口と出口が無けりゃ流れないそうだ
このあたりは液体と同じだよね
(水道なんかを考えてみて)
だから 乾電池だと
銅線の反対側の端を乾電池の反対極につなぐことによって
はじめて電気が流れだす
さて この真ん中に豆電球をつけた
銅線の端に電圧をかける
(乾電池につなぐってことだね)
そうすると銅線全体の自由電子に
「電圧がかかった」という情報が
一斉に流れるわけ
もちろん自由電子たちが情報どおりに
一斉に動き出すわけじゃないよ
なんといってもわがまま放題の自由電子だから
でも 方向性としては
情報に従って動く電子の数が増えるってことなんだ
いま 銅線の端に
電圧がかかったという情報が流れる
もちろん 端にいる電子の多くは動き出すよね
電子のスピードは約1600km/hは出るらしいけど
皆が好き勝手な方向に進むものだから
全体としての平均速度を出すと
時速36cmくらいの速さで情報に従っていく
だけど 情報自体は
銅線全体に伝わっている
だから豆電球のところにいる電子も
電圧がかかったという情報が入った時点で
平均時速36cmで動くってことになるんだそうだ
(情報の伝達スピードはいったん保留)
だから 電気の伝わる速さは?
って 問題の答えは
情報が伝わる速さってことになるんだろうね
では 情報の伝わる速さは?
これって相対性理論の話になっちゃうんだ
情報の伝わる速さ=光速(銅の中を伝わる)
ってことになるんだけど
なんとなく騙されているような気もするな
また ここでも脱線しちゃいそう
どうやって情報を伝えるのかっていうのは
『電場』っていうものに関係しているそうなんだけど
この『場』の概念も まだ仮説段階だからね