心理学
心理学が生物学
特に遺伝学にすり寄ったのには
「氏・育ち論争」になんとか決着をつけたい
っていう動機があった
って書いたよね
ただ ここで注意が必要なのは
『心理学』っていう学問
心理学ってなんだ? って
思わないかな
もともとは
哲学的な人の心の研究
って感じだったんだろうけど
科学を名乗るためには
そんな漠然としたものじゃ
受け入れられないんだよな
現在 心理学と呼ばれているものは
基本的に『実験心理学』だよね
1879年にヴントさんという人が
実証実験をメインにする心理学を
構想したってこと
この辺りで
科学と名乗りだしたわけだよね
生物学もそうだけど
科学を名乗るためには実験・観測のデータが
必要とされちゃう
生命とか心なんてものが
実験はともかく
観測できると思う?
この辺り量子論・相対論と
似ているんだよね
直接観測できないものを
その航跡を見つけることによって
観測するしかないんだ
命や心の航跡
生物学なら生き物の 心理学なら人間の
『行動』の研究が盛んになるんだよ
ただ 困ったこともある
前にも書いたけど
科学を名乗ったために
正解ってものが無くなっちゃった
現在のところ
正しいとされている仮説
しか なくなっちゃったんだよね
氏・育ち論争
心理学でもめていたのが
この『氏・育ち論争』
個々の人間の持っている
性質・性格・体形・外観・能力
これらは生まれついてのものなのか
生まれてからじぶんで獲得したものか
っていう論争だね
1970年代
心理学の主流がアメリカだったっていうのは
前に書いたと思うんだ
そして その当時のアメリカの心理学は
環境によって人間の資質は決定する
という論調が強かったってこと
アメリカらしい
と 言えばそれまでなんだけど
『自己責任』っていうのが好きだからね
すべては努力のたまもの
日本風に言うなら
「努力は常に報われる」
ってやつだね
逆に言えば
報われていないものは努力が足りないんだって
切り捨てられるってことでもあるんだけど
ヨーロッパとアメリカは
仲がよさそうに見えるけど
どうも本質では相容れないのかもしれない
アメリカの心理学の主流が
『育ち』に置かれることに対して
疑問を呈していたのが
ヨーロッパの心理学者たち
生物学 特に進化というものに
すり寄っていったのが
ヨーロッパ系の
心理学者たちだったって言うのが
その証拠なんだと思うよ
そして 現代では
『行動遺伝学』
『行動生態学』
なんて研究方向が
遺伝心理学の主流を
占めるようになってきた
と いうより
『育ち』中心の心理学から
『氏』の占める割合も
強いんじゃないかという
心理学への変化ってことかな
今のところ人の資質ってものは
『氏』と『育ち』の
両方で決定される
なんて言う折衷案が
主流になっているけど
けっきょく未だに
『氏・育ち論争』は
決着がつかないままなんだよ
遺伝
生命ってものは やはり
人間の究極の謎であり
解明したい事象の
最有力候補じゃないかな
生物の体の構造なんかは
『分子生物学』の登場で
科学的な分析がこれからますます
進んでいきそうだね
生物をモノとして
捉えるという発想は
生物学と他の自然科学との
境界を取り除いたのかも
しれないんだ
量子力学でよく知られている
シュレティンガーさんなんかも
『生命とは何か』
という本を出しているくらいだもの
この『生命とは何か』は
物理学の応用によって
生物学の新しい研究領域を構築し
統一的な知識を獲得することを
目指して書かれた
ってことになっているんだ
物理学者(量子論の研究者)が
生物学に興味を持ったのか
量子論に嫌気がさして
(『シュレティンガーの猫』論争)
生物学に転向したのかは
わからないけどね
行動の多くの部分は
体構造で決まっていくから
行動については
これから急速に新しい発見が
あるんじゃないかな
もう一つの進化という
部分についてはどうだろう?
現存する生物から
過去へ推測していくという
ある意味考古学に近い研究
(なんといっても生命誕生まで遡ると
38億年ほどかかるもんね)
そして実験を重ねるにしても
進化を確定させる実験をするのに
時間がかかり過ぎるという問題
なかなか物理学のような
合理的な仮説を立てるのは
むずかしそうなんだ
ただ 生物の行動を
進化という形から捉えようとする
『行動生態学』でたてられた仮説
『血縁淘汰説』
それを数学・経済学分野の
『ゲームの理論』を導入することで
科学的な根拠を持たせた
ESS理論が
一つの仮説としては
有力になっているんじゃないかな