理性と行動
行動の分類っていうのを
もう一度書いてみよう
生得的行動として
走性・反射・本能行動
習得的行動として
条件反射・学習行動・知能行動
って6つに分かれていたよね
これらの行動を
理性A 理性Bで
分けてみようと思うんだ
理性Aを自動制御装置
理性Bを思考判断ってことに
してみるつもりなんだ
車の運転なら
自動運転と手動運転って
ところだね
でもこれで うまくいくんだろうか?
走性
刺激に対して
動こうとする行動だね
これって自動制御装置
理性Aで良いんじゃないかな
反射
刺激に対して
無意識に起こる行動
ってことなんだから
これも理性Aなんじゃないかな
本能行動
生物種が独自に持っている
生まれつきの習性
って定義なんだから
これも理性Aだろうね
なんといっても
反射が複雑に組み合うことによって
起きる行動って
されているんだから
と いうことは
ひとまず生得的行動に
分類される3つは
理性Aと言ってもいいのかもね
習得的行動
条件反射
これって 脳のバグじゃないかな
考えて行動しているというより
反射行動が間違って起こる
ってことだと思うんだ
だからこれも理性Aだと思うよ
学習行動
学習と書いちゃうと
勉強した結果の行動
みたいに思っちゃうけど
この場合の学習っていうのは
経験ってことだよ
同じ(もしくは同じような)
経験を繰り返すことによって
より適切な行動を
するようになるってこと
これってPCの
ショートカット・キィみたいな
ものだよね
脳の中で 勝手に
回路が出来ちゃうって
ことなんじゃないかな
だとすると 条件反射と
どう違うんだろう?
条件反射は脳がバグって
刺激に対する
誤った回路が出来ちゃうってことだけど
学習行動は
刺激に対して
正解(かもしれない)の
回路ができるってこと
なんじゃないの?
だとすると
学習行動も
理性Aってことに
ならないかな
知能行動
未経験(学習していない)な
事態・状況に対して
判断・推理・結果の予測をして
適切(たぶん)な
行動をとることって
これは少し期待できそうだね
でも 未経験な事態・状況って
どんな状況だろう?
果たして本当の意味での
未体験・未経験な状況
っていうものが
動物でも人間でも
想像ができるんだろうか?
確かに未経験な事態に対しても
情報さえあれば
そこから判断・推理・結果予測は
できるかもしれないけど
そのためには
想像力 言い換えれば
抽象概念の認識能力ってものが
不可欠になっちゃう
ってことにならないかな
だとすると 知能行動で言われる
未経験っていうのは
情報だけあって
体験としては無いって
意味だと思えるんだよ
情報を実体験に照らし合わせる
抽象概念の認識能力が
あるかないかってことであって
知能行動が行動として
学習行動と違うところって
無いんじゃないのかな
そしてそれが
間違っていないとすれば
知能行動も
理性Aってことに
なっちゃいそうなんだ
さて困った
理性Bって
どこにいったんだろう
人間・動物・そして理性
生物 とくに動物には
理性が無いって考えかたには
どうにも納得ができないんだよな
理性Aってぼくが勝手に名付けた
刺激に対しての
自動制御システムだって
理性の役割のはずだもの
だから理性には
理性Aとは別に
もう一つ理性Bっていうものが
あるんじゃないか
ってことで行動の分類に
あてはめてみたんだ
ぼくとしては
理性Aに当たるのが
『本能』ってもので
理性Bに分類されるものこそが
人間の持つ特異性
ってことにしたかったってこと
理性とか思考なんてものは
直接観測することが
(今のところ)できないよね
ただ その理性・思考の痕跡は
『行動』として
現れるじゃない
だから行動を分析すれば
なんとか人間の特異性っていうのが
わかるはず だったんだけどな
ところが だ
行動の6分類に
理性A・理性Bをあてはめてみたら
全部が理性Aに
分類されちゃったんだよ
(あくまでぼくの分類だけど)
たしかに複雑さや
刺激の複合的な絡みの多用さに
対応できるか否かによって
より高度な分類に分けられていくんだけど
けっきょく行動の要因は
刺激に対する反応ってことで
落ち着いちゃうんだよね
これってけっして
ぼくだけの勝手な
思い込みじゃないみたいなんだ
ちゃんとした学問でも
(動物行動学や
行動生態学なんてのでも)
行動を学習か生まれつきかで
二分しない立場っていうのが
標準的なんだってさ
さあ 困った
せっかく迷い込んだ物理学から
戻ってきたつもりなんだけど
今度は生物学の闇の中に
迷い込みそうだね
まあ 知らないことに
出会うのは良いことだとしよう
でも これってひょっとすれば
物理学に足を踏み入れるより
無謀なのかもしれないな