2024-10

散歩の途中

ひとまずまとめてみよう

人類という存在はセカンドというものに分類される高性能排水装置 納得するかしないかは関係なく憶測としてはおかしくない。そして高性能すぎるがゆえにイレギュラーを起こす可能性があり そのイレギュラーを防ぐためにセーフティ装置が設けられているというのもわかる。ただ そのイレギュラーが必ずしも欠陥で無いとしたらどうだろう?
散歩の途中

ファースト Ⅱ

「知覚できないものを認識する能力」 そうとう特異なの能力かもしれない。われわれにとって知覚できないということは『無い』に等しい。知覚できない存在を認識するということは無から存在を生成してしまうということになりかねないか? その力に目覚めさせないために35億年という時間を使って進化の刷り込みが行われているのかもしれない。
散歩の途中

ファースト Ⅰ

われわれ人類がセカンドと呼ばれる排水装置の最終形だとしよう。効率だけで考えれば最大効率の排水装置を使えば物事は単純に進むはず。では なぜ初めからその手段を使わないのか。高度な機器になればなるほど取り扱いが難しくなり 暴走を起こさないための制御装置が必要になるからだ。われわれセカンドの制御装置 それが進化の刷り込み。
散歩の途中

死ってなんだろう

死後の世界はどういったものなのか。意見や感想は多いけど今のところ確定した事実出て来ないね。だからひとまずの結論としては死や臨死体験の情報は今のところ意味が無いってことで放置しようよ。ただ 多くの死に臨んだ(本人談だけど)救急救命士のマシュー・オライリーさんのプレゼンは少し考えさせられたんだ。だからすこしだけ紹介してみよう。
散歩の途中

死後の世界

人が死んだらどうなるのか? それを宗教(一部のだけど)の観点から考えてみよう。政治都合で変わたんじゃなく本来の多くの宗教に共通しているのが人は死んだらいったんどこかに集められるらしいんだ。その後天国か地獄か極楽か もう一度現生に戻るかそれを決められるんだと。ただその中で涅槃という別次元に旅立つっていうのもあるけど。
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