2024-08

散歩の途中

セカンドと世界

セカンド 身近な言葉で言えばぼくたち人類 そんな訳の分からない存在が必要とされるのには意味がある。人の生には意味があるなんてはなしじゃない。ただ色と時 言い換えれば宇宙の構造上仕方なく生み出された存在がセカンド(人間)ってこと。個の人間には意味は無い ただ人類という種は世界にとって意味があるってことなんだろうね。
散歩の途中

セカンドとしての人類 Ⅱ

生物としては攻防にわたって三流としか思えない人類というものが今現在地上の覇権を担っている。たしかに氷河期の影響は大きかった。氷河期による覇者の入れ替え 大陸が陸続き アフリカの乾燥による樹上生活の困難。だがその中でたかが道具と火だけで短期間に地上の覇権をにぎったというのどう考えても異常な出来事だとしか言いようがない。
散歩の途中

セカンドとしての人類 Ⅰ

『人』っていうのは何だろう。今の感覚で捉えられる人・人類という姿はたかだか1万年ぐらいのスパン。ホモ・サピエンスという種なら10~30万年。ホモ属としてなら200万年。二足歩行を主なら4~500万年だけど 道具と火を主ならホモ属と同じ200万年。どちらにしても200万年という短時間でここまで覇権を握ったってことは異常だよね。
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進化の最終形

生物の進化の過程で時代の覇者が次代でも覇者であり続けたという歴史はまずないと言える。どちらかと言えばその時代の弱者とされる種が次代の覇者となるケースが多い。それでも最弱層の生命形態が覇者となることはまずあり得ない。その中で人類という最弱に位置づけられたはずの生物種が現在覇者の立場にいるということは奇跡でしかないだろう。
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