2024-07

散歩の途中

セカンド

時と色と意 この三つ巴で世界は成り立っているってことにしておこう。ただ個々の星々に存在する意の量が歪になるこれもそんなものだとしておこう。開放時間は一律  量には多少がある。だとすれば量に合わせた解放手段が必要。その量があまりにも多い場合特別な解放装置が必要 その解放装置の名を『セカンド』と呼ぶ ということらしい。
散歩の途中

散歩の世界

世界(宇宙)は誤って出来てしまった それが「散歩の途中」の世界観。誤りの結果 時と色(物質)在るということになる。時と色はその誤りの修正のためお互いを そして己自体を消滅させるために動き出す。ただ 存在の無いものは消滅できない。そして存在するためには世界を確定させる必要が。どうしようもない矛盾を抱えて世界は動いていく。
散歩の途中

散歩の途中 前提

以前 相対性理論を書くのに勉強が追いつかなくて『散歩の途中』のメモを繋ぎで書いたけど漠然とし過ぎてわからなかったよね。だから再稿という形で書き直したけど やはり骨組みだけでももう少し詳しく書いておかないとなんのことかわからないような気がしてきた。まずはこの世界(宇宙)の構成 『色』と『時』から始めてみようかな。
散歩の途中

そして新天地 Ⅱ(再稿)

初期の『散歩の途中』はここまでだったね。相対性理論を書きかけて行き詰って仕方が無く書いていたってこと。だけど 結局はぼくの一番興味あるテーマはこの『散歩の途中』。以前に軽く触れていた部分をもう少し突っ込んで書いておかないとどうしても全体が分からなくなるから困ったもんだ。だから『散歩の途中』をもう少し続けてみよう。
散歩の途中

そして新天地 Ⅰ(再稿)

外界(自然)と喧嘩別れしなければ過当な生存戦略は必要なかった。進化という外界に流されて生きることを拒否した瞬間から生物の悲劇が始まったのかもしれない。たしかにそのおかげでより高次の存在に進んだように見える だが高次=幸福とは限らないのが世の常。もっとも 生命というものを手にした瞬間から悲劇が始まっていたとも言えるのだが。
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