2023-01

雑学

多世界解釈 Ⅱ

『人間』は波動関数で表せられる世界の中にいるのか外から俯瞰しているのか。そのあたりが『コペンハーゲン解釈』と『多世界解釈』の最大の論点じゃないかな。人間は波動関数の中にいるけど物理学って学問はどうなんだ? ってところが問題。だからこの論争、人間がじゃなくて物理学が波動関数の影響を受けるのかって問題なんだろうね。
雑学

多世界解釈 Ⅰ

『観測』。この言葉が物事をややこしくしている元凶なんだよね。観測ってすごく客観的なデータのような気がするけどあくまで『人間が』って言葉が付いちゃうんだ。では人間は波動関数から逃れるのか? って問題だよね。もし人間が波動関数から逃れられているとしたら解釈の難問が突き付けられる。もし人間も波動関数の中にいるとしたら……
雑学

多世界解釈へ足を踏み入れる前に

観測。そのことばには『人間』が観測するって意味が前提として置かれているよね。物理学ってそういう学問なんだから。だけど相対論もそうだったけど特に量子論ではこの『人間』っていうものが問題になってきちゃうんだね。モノは波動関数で表せられる。人間はモノの一つである。では人間は波動関数でしか語れないのか? という。
雑学

波動関数の収縮

科学 特に物理学というのは理論構成が完璧でないと正しい仮説とは認められないところが辛そうだね。『波動関数が量子の状態を表す』っていうところまでは仮説として認められているんだ。ただ 観測すれば量子が粒子として見つかっちゃうのはなぜか? ってところでみんな苦労しているんだね。そこで出てくるのが『射影仮説』なんだけど……
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