2022-11

雑学

シュレティンガーの猫 Ⅱ

量子力学の観測されるまではすべては状態の重ね合わせ 観測されてはじめて確定するという理論は実験・観測で得られたデータをなんとか解釈しようとする結論だね。ただその結論はそれまでの物理学(自然科学全体かも)の柱としていた因果関係を崩す可能性が出てくるんだよね。そこで出題された『猫箱』。だけど結論の出しようが無いんだよ。
雑学

シュレティンガーの猫 Ⅰ

しつこいかもしれないけど量子力学のコペンハーゲン解釈には批判的な意見が多かったんだ。実験・観測の結果合理的な解釈として出された『仮定』だけど『因果関係』の否定意を内包しちゃったからね。アインシュタインさんなんかも異議を唱えていたし。そんな中でシュレティンガーさんが思考実験として提唱したのが有名な『猫箱』のはなしなんだ。
雑学

誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる

アインシュタインさんが言ったとされる「私が見ていなくても 月はそこにあるはずだ」って言葉があるんだけど量子力学(確率解釈)の観測するまで量子は状態の重ね併せでしかないという考え方に異議を唱えた言葉だね。この観測という問題 哲学の世界でははるか昔から議論されている問題なんだ。知覚されていない観念は存在するのか? ってね。
雑学

観測

量子力学では量子の位置・運動量は確率でしか表せないってことになっているらしいんだ。ところが量子は観測された瞬間に粒子としてその位置・運動量が決まっちゃう。この矛盾をなんとかするために波束の収縮や射影仮説なんて『仮説』が立てられたわけなんだけど、根本的なところの疑問が解決しないんだよね。『観測』とはなにかという。
雑学

量子って何だろう?

物理学が『哲学』寄りになってしまったかも。もともとの哲学って言う意味じゃないよ。言葉を紡いで真理に近づこうとする方法論という感じ。量子力学や近年の物理学は自然言語に変わって『数学』という新しい言語で構成されているんだね。数学は完成形に近い言語だけどあくまでも『言語』。物理学の世界を言葉で語っていいものなのかな?
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