2020-04

雑学

弁証法

弁証法って人間が言葉を使うようになって他人とコミュニケーションをとりだした時から人間に備わっていた能力だと思うよ。今は哲学に偏向して書いているから対他者や対組織(国でもいいけど)用の技術に重きを置いていないけど一般の社会生活には欠かせない技術には違いないよね。その技術を内に向かう思索に使おうとしたのがヘーゲルさんかな。
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論理的思考

論理的思考って人は言いたがるけど、そんなに大したもんじゃないのかもしれないよ。『演繹』『帰納』『推論』『類推』なんて分類わけしているけどもともと人間が持っている思考法に名前を付けただけのこと。どの方法にしても因果関係を他人に説明するためにつくられた技法のような気がするんだけどな。
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一休み

古代ギリシャからショーペンハウアーさんまで駆け足でやってきてすこし息切れ。哲学の研究者じゃないからこれから先どんなすごい考え方が出てくるのかは知らないけどぼくの感覚だけで言うとこのあたりまでで大元の考え方(疑問?)は出てきているんじゃないかな。だから少し休憩をはさんでわかりにくいところをもう一度考えてみようよ。
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ショーペンハウアー

カントさんの思想をより深めていったショーペンハウアーさん。認識の根本部分はカントさんの思想の深堀。ただ、カントさんが人間には理解不可能として保留しちゃった『物自体』を『意志』、ただし人間には理解できないものとした。そして『意志』の本質を知ろうとすることはけっして幸せなことではないのかもしれない、と。
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またまた、ちょっと休憩

「最大多数の最大幸福」を唱えたベンサムさん。このひとのことを調べていたら気持ちが違うほうに行っちゃった。哲学でもそうだけどぼくにもいつもついて回る違和感。内なる個人、考えている自分ってものかな、と社会の中の個人。これってじつは別のものなんじゃないのかな、車と乗っている人の関係みたいに。
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カント

哲学の巨人と呼ばれるカントさん。もともと『基礎付け主義』の基礎に『理性』を置いていた人だけど、その理性ってどこまでのことができるのかを考えだした。人の思考をつかさどる『感性』『悟性』『理性』から『純粋理性批判』って論文で人の持つ理性の限界を考察していったんだ。
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経験論

合理論と経験論ってのははるか昔から議論されている哲学の『基礎付け主義』での基礎を何に求めるかの論争。人間ってのは本質的に物事を理解できる理性ってのを持っているのか、もともとは白紙の精神に後付け(経験)で物事を理解できるようになるのかって難しい問題だね。
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付記

デカルトさん・スピノザさん、そしてパスカルさんを書いてきたけどどうにも出てくる単語がまぎらわいい。だからつたない説明になるかもしれないけどできるだけ書いてみる。本当に哲学者、もしくはその本を出版する人たちってわざと一般の人たちにわからないように書こうとしているんじゃないかって思うほどむずかしい言葉を使うからね。
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パスカル・スピノザ

デカルトさんは偉大だった、ってのは多くの人が認めているところ。ひとつの基礎を築いたってのは確かだろう。でもその基礎からどんな構築物を立ち上げるのかは人それぞれだと思う。パスカルさんやスピノザさん、デカルトさんと同時期の思索家なんだけどそれぞれにデカルトさん(特に明晰判明に対してだろうけど)違う角度から再考していく。
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そして、デカルト

さあ、デカルトさんもおしまい。『懐疑主義』でとことん追い詰めて『自分(われ)』って土台を築いたデカルトさん。その結論から当然のように派生する『実体二元論』。このふたつだけでもぼくはデカルトさんにあこがれてしまうよね。そしていまじゃあいてにされなくなってしまった『エーテル』。これだってぼくのなかではすごい考えだと思うよ。
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