0と∞と特異点

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物理学上 特異点はあるのか?

数学は言語だって

さんざん言っているよね

物理学とは人間が認識しうる

自然現象を研究する学問である

っていうのも

相対論・量子論そして

素粒子論へと

進んでいくにしたがって

物理学の理論が

実験検証の速度を

大きく上回って

きているのかもしれないって

感じちゃうのは

ぼくだけなんだろうか

思考実験と数式によって

理論はどんどん

進んでいるんだけど

それを裏付ける観測結果って

ひょっとしたら今のぼくらには

無いのかもしれないんだよ

もしかすると

ギリシャ時代の哲学者たちと

現代の物理学者は

同じところに

立っているのかもしれないって

思っちゃうんだよな

もっとも いつも言うように

これはぼくの無知からくる

ただの思い込み

なんだろうけどね

さて また始まった

ぼくの愚痴は横において

Δt=0 ΔE=∞という

時間が確定したときに

エネルギーが無限大になるって

話に戻ってみよう

ここで問題になるのが

『0』と『∞』という数字

数学では0や∞なんて簡単に使うし

『-』や『虚数』なんてものも

出てくるんだけど

はたしてこれって

本当にこの世界に

あるんだろうか?

ここで思い出しちゃうのが

ゼノンさんが

(古代ギリシャの哲学者だね)

言ったとされる

アキレスと亀の

パラドックス

有名だから

知っている人が

ほとんどだと思うけど

概略だけでも

書いてみよう

あるところにアキレスと亀がいて

競走をすることになった

亀はハンデキャップとして

アキレスより先の地点から

(仮にAにしておこう)

スタートしたとするんだ

さて 競争の結果は

どうなるのか? 

っていうのが

このパラドックスの問題

結果は誰が考えても

同じなんだけど

当然アキレスが

勝つことになるよね

(亀がゴールの

直前からスタートしていれば

別だけど)

でも ゼノンさん

アキレスが亀のスタートした

地点Aに到達したときには

アキレスがA地点まで進んだ

時間分だけ

亀は先に進んでいる

(B地点)

そして AからB

アキレスが進んだ時には

また その時間分

先の地点に

(C地点)

進んでいる

それが A・B・C・D・E……と

続いて行っちゃうと

いつまでたっても

アキレスは亀には追いつけない

だから アキレスが

勝つことは無いって

言い出したんだ

この話のおかしさは

一応現代じゃ解決している

ことになっているけど

はたしてそう言い切れるのかな

数学(代数)上だと

『無限級数』の考え方で

アキレスは亀に

追いつけることになっている

幾何学上では

このパラドックスは

起きないんだよね

論理上では距離に対する

無限の概念と

回数(時間?)に対する

無限の概念とが

混同されているために

矛盾が起きるってことが

大まかに言われて

この問題が

解決されたってことに

なっているんだ

でも このはなし

『0』と『∞』

不用意に使っちゃうと

変なことがおこるよって

言っているようにしか

思えないんだけどね

言語の能力不足

言語っていうのは

コミュニケートツールとしては

不完全なものだってことは

いまさら言うまでもないよね

それが英語であろうと

フランス語・ドイツ語

その他どこの国の言語にしたって

完成されているとは

とても言い難い

もちろん日本語もね

同一言語を土台とする

地域の人間どうしでも

個人の思いを

他人に伝えるなんて

できるわけがないんだから

ましてや他言語を翻訳するなんて

おこがましいといっても

問題ないと思うよ

なんといっても

哲学(metaphysics)の和訳が

形而上学だもんね

その中で

コミュニケーションツールとして

(今のところ)

いちばん正確なのが

数学という言語

数字で表したものは

よほど読み手が曲解しない限り

割とそのまま

伝わっていくものなんだ

ただ 言語の悲しさ

神羅万象を表すのに

正確な言語を使うと

どんどん新しい言葉を

作っていかないと

どうしようもなくなるんだよ

たとえば日本語で

「絵にも書けない美しさ」

と言えば

正確には伝わらないけど

ある程度のニュアンスは

伝わっていく

それを正確に伝えようとすると

さて……

困っちゃうよね

一般言語(自然言語)の

その欠点は

もともとわかっている

だから 『現象学』やら

『意味論』なんて

補助する研究も

おこなわれているんだ

その点

『数学』はその中だけで

完結しようとしちゃう

たしかに論理的には

正確なものには

なるだろうけど

そのために

人間の認識能力を超えた概念まで

作っちゃうんだから

困ったもんだ

『0』と『∞』なんて

そのいい例じゃないかな

特異点

特異点という考え方は

もともと『数学』において

考えだされたもの

なんだと思うよ

前述の「絵にも描けない美しさ」を

表すために

つくられたってところかな

絵にも描けない美しさってものを

考えると

対象の『美』を描くだけの

技術力が無い場合と

もともと描くことが

不可能な『美』であるって

二つの捉え方が

あるように思うんだ

(他の理由もあるかもしれないけど)

数学で言われるところの

特異点(特異性)っていうのは

【適当な枠組みの下で

考えている数学的対象が

「定義されない」

「よく振舞わない」

などと言ったことを

理由に除外されること もの

およびその基準である】

という 特異性を示す点を

特異点っていうらしいんだけど

(ウィキの引用だよ)

これって 考えてみれば

論理で構築された数学上の

その論理から外れたもの

ってことのような

気がしないかな

それこそ

「絵にも描けない美しさ」だね

工学系で使われる特異点は

どちらかというと

分岐点みたいな

使われ方らしい

AIの自己フィードバックによって

スーパーインテリジェンスが

誕生する時点を

そう呼んでいるみたい

これなんかは

特異点というより

これまで地球で何度も起こってきた

変換点の一つってことなんだろうね

では 物理学の世界での

特異点っていうのは

なんだろう?

相対論の中でも

ブラックホールの

解析に使われたり

宇宙の誕生・終焉に

使われたりしているけど

実際のところ

確定された理論として

認められているわけじゃ

ないんだよね

もともと 物理学は

仮定→実証→仮定→……の

繰り返しの学問

反証が出るまでは

『事実』かもしれない

ってことで保留しておこう

という スタンス

なんだと思うんだ

物理学の理論は

すべてに

『今のところは』という

但し書きが付いているし

一見 目立つことは

無い場合が多いけど

じつは 物理学を支えているのは

実験物理ってこと

だと思うんだ

ノーベル賞にしたって

理論だけじゃ受賞しないもんね

実験・観測によって

『是』とされて初めて

受賞対象になるんだから

グダグダ書いちゃったけど

量子論の悲しさは

どうしても 数学を基準に

構築されている

そんな気がするんだ

だから ある意味

正鵠を射ているとは思うけど

どこか 小説を読んでいるような

気にさせてしまうという欠点は

あるんじゃないかな

数字の『0』や『∞』が

使われている限りはね

こんなことを書いている最中だけど

なんと

『虚数』概念の観測が

されたって

ニュースが流れて来たね

やはり 学者たちは

すごいなぁ

もしかすると『0』や『∞』の

観測結果が出てくるかもしれないね

出てきたらすぐに

謝らなくっちゃ

でも 早く出てきてほしいな!

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